1960年代後半のデトロイト。
後に坂本龍一のアルバム『NEO GEO』をプロデュースするミュージシャンとなるビル・ラズウェルは、ある音楽イベントで演奏する大所帯のジャズバンドに強い衝撃を受けた。
バンドのメンバーはアフリカ系アメリカ人で統一され、古代エジプトとSF的意匠を混ぜ合わせた衣装に身を包んで演奏していた。
リーダー、サン・ラーは自身を「わたしは黒人でも地球人でもない、土星からやってきたのだ」と語っていた。
ハーマンが土星人になるまで
バンドのリーダーの名は、アフリカの太陽神に由来するル・ソニール・ラー。長いため、通常はサン・ラーと呼ばれる。本名はハーマン・プール・ブラント。1914年、アラバマ州バーミンガム生まれである。
もっとも、この本名や生年が広く知られるようになったのは後年、研究者により特定されたもので、旺盛な音楽活動を行っていた当時のサン・ラー自身は、それらの個人情報をほとんど語らなかった。
幼少期から音楽、とりわけジャズに卓越した才能を示し、10代前半から演奏活動を始めている。デューク・エリントンをはじめとする当時のビッグバンド・ジャズを熱心に研究し、その音楽理論や編曲技法を独学で身につけていった。
性格は内向的で、高校時代も親しい友人は少なく、読書と音楽に没頭する優等生だったとされる。
アフリカ系アメリカ人のコミュニティに身を置きながらも、常にどこかで孤立感を抱えており、その感覚は次第に神秘主義思想への傾倒と結びついていった。
彼は特定の思想体系に固執することなく、古代エジプト思想、聖書の秘教的解釈、数秘術、西洋神秘主義など、体系性を無視し興味を惹かれたものを貪欲に吸収していく。
そしてやがて、それらを混淆させた独自の「哲学」を、自身の音楽と結びつけて語り始めるようになる。
サン・ラーの誕生
1930年代半ば、サン・ラーは自身が主導するバンドを率い、バーミンガム周辺で演奏活動を行うようになる。試行錯誤の末、地元クラブの専属バンドとして活動する機会も得た。
同時期、大学で音楽理論を学ぶものの、在学期間は短く、ほどなく中退している。
そしてこの頃、彼の生涯において決定的な体験があったと、後年語られることになる。
瞑想中、突如として強烈な光に包まれ、身体が透明になった感覚に襲われ、意識が上昇し、人間の姿ではない存在と接触した。
彼らは小さなアンテナのようなものを持ち、私に語りかけた。
地球は混乱の時代に入る。大学を辞め、音楽を通じて世界に語りかけよ、と
サン・ラーは、この存在を土星に由来する知性体として理解した。
なぜ「土星」だったのか。その理由を彼は論理的には説明していない。占星術的象徴、古代神話、直感が混ざり合った結果だった可能性が高い。
重要なのは、サン・ラー自身がこの体験を真剣に受け取り、人生のエネルギーすべてを音楽活動に投じることを決意したことだ。
ジャズの伝道師サン・ラー
第二次世界大戦を挟み、長年にわたる音楽活動と研鑽を経て、1952年、ハーマン・プール・ブラントは法的にル・ソニール・ラーへと改名する。
シカゴに移住した彼は、インディペンデント・レーベル「サターン」を設立し、膨大な数のレコードを自主制作で発表していく。その正確な枚数はいまなお把握しきれないほどである。
1950年代後半から、サン・ラーと彼のアーケストラは、古代エジプトとSF的意匠を融合させたコスチュームを身にまといライブを行うようになる。演奏はスウィング、ビバップ、フリー・ジャズ、ファンクへと自在に変貌していく。宇宙的存在や終末論的なメッセージを語りながら演奏を続けたが、それは単なる奇行ではなく、アフリカ系アメリカ人の歴史と未来を神話的に再構築する試みでもあったと解釈されている。
これだけならば、サン・ラーは単なるカルト的指導者とその取り巻きに過ぎないようにも見える。
だが、サン・ラーと彼のアーケストラの演奏はジャズとしてあまりにも完成度が高く、無視できない魅力を備えていた。スウィング・ジャズからビバップ、フリー・ジャズからファンクまで、ジャンルを縦横無尽に横断し、それらを独自の音楽へと統合している。
その影響はジャズの枠を超え、ファンクやロックの領域にも及んだ。ジョージ・クリントン率いるPファンクのSF的コンセプトには、サン・ラーの宇宙的世界観との明確な連続性が見て取れる。ハード・ロックの先駆であるMC5はサン・ラーを崇拝し、実際にステージを共にした。
80年代のニューヨークでは、ブロンディのデボラ・ハリーやソニック・ユースのサーストン・ムーアがサン・ラーのライヴに足を運び、その演奏を自らの音楽表現に取り込もうと試みている。サン・ラーのジャズは、現在もなお世界各地で聴き継がれている。
虚言か神話か
サン・ラーは後年、1936年ごろに瞑想中の体験を通じて、土星的存在から使命を授かったと語っている。
ただし、この体験談が公に語られるようになるのは、主に1950年代初頭以降である。
この時期のアメリカは、SFブームとUFO言説が急速に広まっていた時代と重なる。そのため、サン・ラーの語る体験を、当時の文化的環境の影響下で形成された自己神話と見る研究者も多い。
しかし、これを単なる虚言と断じるよりも、黒人秘教思想と宇宙神話を結びつけた意図的な思想表現として理解する見方が有力である。
音楽演奏に深く没入する過程で、強い集中状態や意識の変化を体験するミュージシャンは少なくない。たとえば、細野晴臣はその象徴的な例のひとりであり、インドでのUFO目撃、新宿での正体不明の存在との遭遇、沖縄でのキジムナー体験などを、自身の語りとしてたびたび明かしている。
真偽が重要ではなく、重要なのは、彼が最後まで自分は地球人ではないという立場を崩さなかったことだろう。
1992年、サン・ラーはこの世を去った。
彼自身の言葉を借りるなら、「土星へ帰還した」のである。
そして唯一無二の事実として、サン・ラーがジャズ・ミュージシャンとして一流であったことに疑いはない。
今日も地球のどこかで、サン・ラーの音楽を聴きながら、空を見上げるファンがいる。
それが太陽であれ、土星であれ、あるいは別の何かであれ。
featured image:English: Distributed by Impulse! Records and ABC/Dunhill Records. Photographer uncredited on the publicity photo itself; most likely Francis Ing, who is credited for the photography on Astro Black (see Discogs link above)., Public domain, via Wikimedia Commons


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