ここ十数年ほどで、「浄化」という言葉を耳にする機会が急激に増えました。
場の浄化、心の浄化、エネルギーの浄化。
不調があれば浄化、不安があれば浄化、うまくいかない理由も浄化。
少し冷静に見てみると、この言葉はあまりにも万能ですが、万能な言葉ほど注意して扱う必要があります。
本来の「浄化」は、かなり限定的な言葉だった?
もともと浄化とは、穢れを祓うための行為を指す言葉でした。
しかもそれは、日常的に何でも使う事ではありません。
穢れとは、不潔という意味ではなく、死や病、災厄といった「非日常の状態」を区切るための考え方です。
一定の儀礼を通じて、日常に戻るための手続きのようものが、本来の浄化。
ところが現在では、浄化は日常のあらゆる不快感に対して利用される言葉になっています。
なぜ浄化がこれほど流行ったのか、理由は単純です。
説明が要らないからです。
疲れた理由を細かく説明しなくても、人間関係を振り返らなくても、生活習慣を見直さなくても、「浄化が必要」で話が終わります。
原因を特定しなくて済む、責任の所在を考えなくて済む、それでいて前向きに聞こえる。
これほど使い勝手のいい言葉は、そうありません。
ここが重要な点です。
浄化という言葉は、誰も否定しない表現として機能します。
あなたが悪いわけではない、努力が足りないわけでもない。
ただ、何かが溜まっているだけ。
スピリチュアルが「感情」を異物化した
現代では浄化を、怒りや不安、嫉妬といった感情が、「取り除くべきもの」として扱われがちです。
本来、感情は自然な反応です。
問題があるとすれば、感情そのものではなく、扱い方のほうです。
それにもかかわらず、感情を浄化の対象にしてしまうと、向き合う必要がなくなります。
感情は処理するものではなく、消すものに変えられてしまいます。
空気を読む文化。
波風を立てない価値観。
本音を抑える習慣。
こうした環境では、不満や怒りを正面から言語化するのは難しい。
その代替として、「浄化」という柔らかい言葉が選ばれたと思うのです。
直接的な表現を避けた結果、抽象の高い言葉が重宝される。
それは日本社会の特徴でもあります。
しかし、浄化という言葉に頼りすぎると、人は考えることをやめます。
なぜ疲れたのか。
なぜ嫌だったのか。
なぜ同じことを繰り返すのか。
それらを考える代わりに、浄化すればいい、で終わってしまう。
楽ですが、成長ではありません。
浄化は悪い言葉ではない。
ただ、使いどころを間違えている
誤解しないでください。
浄化という言葉自体が悪いわけではありません。
区切りをつける。
気持ちを切り替える。
そうした意味で使うなら、有効な言葉です。
本当の浄化
浄化が必要なのは、感情ではなく思考かもしれません。
浄化という言葉が出回るようになったのは、それが優しく、便利で、責任の所存を問わないからです。
しかし、本当に必要なのは、感情を消すことではなく、言葉にすることです。
浄化しなければならない何かがあると感じたとき、それは霊的な汚れではなく、整理されていない思考や感情なのかもしれません。
※画像はイメージです。


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