五時四十七分

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例えば、誰もいないはずの場所で『誰かがいる気配』を感じる、といった単純なものでは、もう足りない。気配は、むしろ日常に溶け込みすぎていて、見過ごしてしまうくらいがちょうどいい。怖いのは、それが『見えてしまうこと』ではなく、『見えているのに、違和感を持てなくなること』なのだ。

その男は、三十五を過ぎた頃から、毎朝同じ時間に目が覚めるようになった。目覚まし時計よりも少し早い、決まって午前五時四十七分。最初は単なる体内時計だと思っていたが、ある日ふと、なぜその時間なのか気になった。特別な意味があるようには思えない。けれど、何かに合わせられているような、そんな感覚だけが、薄く残る。
起き上がると、キッチンでコーヒーを淹れる。湯を沸かし、粉を落とし、蒸らす。その一連の動作が、まるで誰かに教えられた手順のように、ぴたりと同じリズムで繰り返される。自分で覚えたはずなのに、どこかで『なぞっている』気がした。

ある朝、ふと気まぐれに順番を変えてみた。先に粉を落としてから湯を沸かした。すると、奇妙なことが起きた。湯が沸くまでの数分間、どうしていいかわからなくなったのだ。何もすることがない。いや、何かをしなければならない気がするのに、それが思い出せない。手持ち無沙汰とは違う、空白のような時間だった。
その日は一日中、調子が悪かった。仕事の段取りが噛み合わず、会話もどこかずれる。帰宅してからも落ち着かず、結局いつもの順番に戻してコーヒーを淹れ直した。すると、不思議と気持ちが整った。まるで、元のレールに戻ったように。

それ以来、彼は順番を変えなくなった。
ただ、その違和感だけは消えなかった。自分が日常を作っているのではなく、日常に作られているのではないか、という感覚。考えすぎだと思いながらも、ふとした瞬間にそれは顔を出す。
決定的だったのは、ある休日のことだった。珍しく寝坊をして、目が覚めたのが午前七時過ぎ。あの時間を過ぎていた。胸の奥が、ひどくざわついた。急いで起き上がり、時計を確認する。五時四十七分は、もう二時間も前に終わっている。

そのとき、スマートフォンが震えた。見慣れない番号からの着信。出ると、無機質な声が言った。

「遅れています」

それだけだった。問い返す間もなく、通話は切れた。
しばらく動けなかった。何が遅れているのか、心当たりがない。けれど、なぜか理解してしまった。自分は何かに『参加している』。しかもそれは、自分の意思で始めたものではない。
その日以降、彼は毎朝、五時四十七分に目を覚ますよう努めた。アラームを三重にかけ、前夜は早く寝る。少しでも遅れそうになると、理由のない恐怖に襲われた。あの声が、またかかってくる気がして。
だが、完全に守ることはできなかった。人間の生活は、そんなに正確にはできていない。ある日、数分だけ遅れた。
その日は電話は来なかった。代わりに、職場で同僚に言われた。

「顔色悪いですよ、大丈夫ですか。なんか、今日、いつもと違いますよね」

自分ではわからなかった。鏡を見ても、変わったところはない。ただ、周囲の視線だけが、微妙にずれている。まるで、彼を『見慣れていない』ような。
帰宅して、ふと気づいた。部屋の中の配置が、ほんの少しだけ違う。テーブルの位置が数センチずれている。椅子の角度も違う。だが、それを元に戻そうとしても、『正しい位置』が思い出せない。

そのとき、ようやく理解した。
自分が日常をなぞっていたのではない。日常のほうが、自分をなぞっていたのだ。そして、決まった時間に起きることで、その一致は保たれていた。
ずれたのは、自分ではなく、日常のほうだった。
翌朝、彼は五時四十七分に目を覚ました。正確に。その瞬間、すべてがぴたりと元に戻った。部屋も、身体の感覚も、周囲の視線も。
安心したはずだった。けれど、コーヒーを淹れながら、ふと思った。
この順番を、最初に決めたのは、本当に自分だったのだろうか。

五時四十七分に、間に合うように。

朝吹龍一朗

「奇妙な話を聞かせ続けて・・・」の応募作品です。
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