心のオネエが励ましてくれるのは危険

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「アンタねぇ、そんな顔してたら、幸せまで逃げるわよ」

仕事でミスをした帰り道、不意にそんな言葉が頭に浮かんだ。
当時SNSでは、「心の中のオネエが励ましてくれる」という投稿が流行っていた。
落ち込んだ時、脳内のオネエが辛口で励ましてくれる。ただそれだけの、よくあるネットのネタだ。

目次

心の中に住み着くもの

その頃の私は、かなり疲れていた。

仕事で大失敗して、上司には嫌味を言われ、取引先には頭を下げて、踏んだり蹴ったりな帰り道。
休日も気が休まらず、朝起きた瞬間から胃が痛かった。
唯一の救いは、コンビニで買った缶チューハイくらい。
だからこそ、あの声が妙に役に立った。

「なにしょげてんのよ!しょげたブスなんて目も当てらんないわよ!」
「くよくよ悩んだってしょうがないんだから、元気出しなさいよ!」
「甘いものでも食べて寝なさい!」

そんな投稿を見るたび、少しだけ笑えた。
だから私も、半分ふざけて真似した。
嫌なことがあった時、自分の中にいる「オネエ」に喋らせる。
辛口なのに、不思議と安心する。

しかも、自分で考えているはずなのに、自分では思いつかないような言い回しをする時があった。
それでも私は深く考えなかった。
人間、追い詰められると、自分を保つために変なことくらいする。
独り言が増える人もいるし、ぬいぐるみに話しかける人間だっている。

それと同じだと思っていた。
実際、「心の中に誰かがいる」という話は珍しくなかった。
オネエでなくても、芸能人だったり、アニメキャラだったり、亡くなった家族だったり。
何かあった時、心の中の誰かが励ましてくれる。
そんな話はいくらでも転がっていた。

こっくりさんと同じ理屈

最初は遊びだが、人は繰り返し「そこにいる」と扱ったものに、少しずつ現実感を持ち始める。
後になって考えれば、あれは少しだけ「こっくりさん」に似ていたのかもしれない。

最初は誰かがふざけて十円玉を動かしただけかもしれない。
だが、何度も繰り返すうちに、「本当に返事をしている気がする」という感覚が生まれる。

知っているはずのないことを言った。
勝手に動いた。
そんな偶然が積み重なると、そこに人格がいる前提で物事を見るようになる。
心のオネエも、たぶん同じなのだろう。
毎日呼び出し、口調を固定し、返事を期待する。

それを続けるうちに、私は少しずつ、あれを自分とは別の存在として扱い始めていた。

声が勝手に喋り始めた

異変を感じたのは、梅雨の終わり頃だった。
残業帰り、人気のない住宅街を歩いていた時だ。

イヤホンで音楽を聴いていると、不意に頭の中で声がした。

「後ろ、見ない方がいいわ」

私は反射的に立ち止まった。
次の瞬間、背後を自転車が猛スピードで走り抜けていった。
危ないな、と思った程度だった。

だが、それから似たようなことが増えた。

「今日はそのエレベーターやめなさい」
「電話、出なくていい」
「その道、通らない方がいいわ」

そして、その忠告は妙に当たった。

エレベーターは故障し、電話は借金の保証人を頼む連絡で、避けた道では酔っ払い同士の喧嘩が起きていたらしい。
偶然と言えば偶然だ。

だが、回数が増えるにつれ、私はだんだん笑えなくなった。
しかも、おかしかったのはそこじゃない。
あの声が、私が考える前に喋るようになっていた。

以前は、自分で想像して、自分で返事を作っていたはずだった。
だが、いつしか向こうから勝手に話しかけてくるようになったように思える。

境界線

ある日の昼休み、後輩に妙なことを言われた。

「先輩って、独り言多いですよね」

私は笑って誤魔化した。
だが後輩は、不思議そうな顔で続けた。

「なんか……最近、オネエみたいな喋り方してません?」

心臓が止まりそうになった。
一度も口に出した覚えがなく、全部、頭の中だけの会話だったはずだったが、無意識に声を出していたようだ。
その日を境に、返事をしない、考えない、別のことに集中する……声を無視しようとした。

「無視すんの?」
「感じ悪いわねぇ」
「アンタ、アタシがいなかったら、とっくに潰れてたでしょ」

そうすると逆にあの声は苛立ったように話しかけてきたように思えた。

最後に残ったもの

仕事でクタクタになって帰宅した。
深夜、真っ暗な部屋の中、ベッドに入って目を閉じた時、耳元ではっきり声がした。

「アンタ、アタシがいなくなったら、一人で耐えられるの?」

私はハッとして飛び起きた。
今のは、頭の中じゃなく、確かに、耳元で聞こえたのだ。

怖くなって、病院へ行くと、ストレスによる幻聴の可能性が高いと言われ、薬を処方された。

確かに、それから声は減って、聞こえない日が増えてきた。
だから、もう終わったのだと思っていた。

だが先月、会社の飲み会で酔いつぶれた帰り。
トイレへ入って酔った顔を洗おうとして鏡を見ると、疲れ切った自分の顔が映っていた。
目の下には隈ができ、頬もこけている。

ひどい顔だ。

その時、鏡の中の自分が、ほんの少しだけ先に笑った気がした。
そして、聞き慣れた声がした。

「ほらねぇ。アタシがいないと、そんな顔になる」

私はそのまま、しばらく鏡から目を離せなかった。
逃げられないという言葉が、頭の片隅を横切ったように思えた。

※画像はイメージです。

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