実父に5人の子を産まされた悲運の女性!栃木実父殺し

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皆さんは戦後間もない昭和日本において、子供による親殺し……尊属殺人の罪が、特別重かったことをご存じですか?当時の刑法では尊属殺人はいかなる動機であれ死刑、または無期懲役に定められ、その量刑は覆らないとされていました。

尊属殺人罪が憲法14条違反として無効化されるきっかけになった衝撃の事件、栃木実父殺しの実態に迫っていきます。

目次

尊属殺人の定義と重刑を課された背景

まずは尊属殺人の定義を説明します。いわゆる「尊属」とは、自分より前の世代の血族のこと。父・母・祖父・祖母・おじ・おばなどがこれに当たり、両親と祖父母が直系尊属、おじおばが傍系尊属に分類されるのを押さえてください。血縁関係のない養父母も尊属に含まれます。自分から見て子や孫に当たる後の世代は卑属に当たるため、やはり尊属殺人罪の対象ではありません。

尊属殺人とはこのうち直系尊属にあたる人間を殺害することで、刑法第200条において、「自己または配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑または無期懲役に処する」と定められていました。計画殺人のみならず傷害致死罪も同様で、よくて無期懲役は免れません。ちなみに一般的な殺人は「死刑または無期懲役もしくは3年以上の懲役」とされ、模範囚として過ごせば3年後に出所できる可能性もありました。一方、尊属殺人の加害者には執行猶予さえ認められません。故に自分の親、もしくは祖父母を殺したら、無期懲役か死刑の究極の二択しか残されていませんでした。

その両親や祖父母がどんなに鬼畜外道な人物であり、長年に亘って子供に対する残忍な虐待や搾取を続けていたとしても、例外は許されません。補足すると尊属殺人が特別視されていた背景には、子が親、特に父親を敬うものとする儒教思想や、日本古来の家父長制度が関係しています。
この尊属殺人罪が改正されるきっかけになったのは、戦後日本で起きたある事件の影響でした。

畜生な父親に性の捌け口にされ続けた木戸綾子の苦悩

1968年(昭和43年)10月5日夜。栃木県の民家において、当時29歳の工員女性・木戸綾子が、泥酔して寝ていた父親の清一を、股引で絞め殺す事件が発生しました。

当初は親子喧嘩が原因かに思われたこの事件がおぞましい様相を帯び始めたのは、逮捕された綾子の供述や関係者の証言により、清一の長年に亘る鬼畜の所業が発覚してから。
事の発端は15年前、綾子が14歳の時。中学三年生の綾子は二間しかない平屋の民家に、両親および6人のきょうだい達と共に暮らしていました。その頃の綾子は既に初潮を迎えて胸が膨らみ、徐々に大人の女性らしい体型に近付いていました。

ある日のこと、四畳半で就寝中の綾子は清一に強姦されました。それ以降は週に一度、ないし10日に一度の頻度で体を求められるようになります。
もともと柔順で大人しい性格だった綾子は、暴力的な父親に怯えて逆らうことができず、「母ちゃんには絶対言うな」という脅しに、泣く泣く屈するしかありませんでした。

それから一年後、中学を卒業した綾子は清一の所業に耐えかね、遂に母親への相談に踏み切ります。
真実を知った母親・コトは清一に抗議したものの、「自分の娘を好きにして何が悪い、ぐだぐだぬかすならお前らもぶっ殺すぞ!」と彼が包丁を振り回し暴れた為、息子2人だけ連れて実家に戻ってしまいました。結果、清一のもとには中卒の長女・綾子と4人の妹たちが残されます。

母親が家を出たのちの綾子は、妹たちの世話と家事を一手に引き受け、夜は清一に抱かれました。されど想像を絶する生き地獄の日々は、まだ始まったばかりでした。

望まぬ出産と中絶の繰り返しを経て、苦肉の決断の不妊手術

一方的な近親姦が3年ほど続いたはてに、17歳になった綾子は清一の子供を妊娠。身重の体で郵便局員の青年と駆け落ちを企てたものの、怒り狂った清一に連れ戻され監禁されます。その後も清一の言動はエスカレートしていき、綾子が夜の営みを嫌がれば包丁を持って暴れ、「妹たちを代わりにする」と脅しました。
妹たちを人質に取られた綾子は逃げ出すこともできず、数か月後に引っ越し先の借家にて長女を出産。以降も昭和34年、昭和35年、昭和37年、昭和39年と立て続けに子供を産んで、父親の欄は空白のまま、私生児の戸籍を作って提出しました。綾子が産んだ子は全て女児であり、末の二人はすぐに死亡したと伝えられています。

昭和39年、25歳の綾子は地元の印刷工場に就職しました。そこで同僚たちとの付き合いが始まると、周囲と引き比べた己の境遇が惨めになり、「今からでも青春が欲しい。人並の幸せを掴みたい」と思い始めます。27歳の時には五回の妊娠中絶を経て不妊手術を行い、子供の産めない体になっていました。このことからもわかるように、清一は全く避妊をしなかったのです。しかも不妊手術を行った事がきっかけで父親との関係が職場にばれ、白眼視されるようになります。ただでさえ女性への当たりが強かった時代に、針の筵だったことは想像に難くありません。

そんな綾子にとって唯一の心の支えは、同じ印刷工場で働いている六歳年下の青年。彼と恋仲になった綾子は真剣に結婚を考え、その事を思い切って清一に相談したところ、案の定清一は酒を飲んで暴れ狂い、「この売女が、出てくっていうならとっとと出ていけ!その代わりどこまでも追っかけて呪い殺して、ガキどももぶっ殺すからな!」と、綾子をさんざん痛め付けました。
後日、工場の人間から恋人の秘密を知らされた青年は大いに驚愕し、綾子に別れを切り出します。

結婚を前提に交際していた青年の裏切りと、終わりが見えない父親の暴力に絶望した綾子は、遂に清一の殺害を決意しました。実娘への数々の非道な仕打ちを思い返せば、清一への尽きせぬ憎しみに駆り立てられた綾子を、誰が責められるでしょうか?

綾子が清一に恋人の事を打ち明けた10日後、1968年(昭和43年)10月5日夜。綾子は酔い潰れて高鼾をかく清一に忍び寄り、職場から支給されている紺色の股引で、ひと思いに絞め殺しました。この際清一はまるで抵抗せず、「お前に殺されるんなら本望だ、さあやれ、とっととやれ。人間は一分二分絞めてりゃ息が絶えるように出来てるんだ」と開き直っています。邪悪極まる人間性に戦慄を禁じ得ません。

物議を醸す裁判の行方と綾子の悲愴な運命

昭和44年5月、綾子に第一審判決が言い渡されます。そこでは刑法199条の通常殺人罪が適用され、刑が免除されました。裁判官は清一を殺害した行為を過剰防衛と見なし、尊属殺人罪の違憲判決を下したのです。

検察側はただちに控訴して第二審に移り、法廷に立った綾子は、「被告人はお父さんの青春を考えたことはあるか。30代40代の働き盛りを犠牲にして、何もかも擲って被告人に捧げた貴重な時間をだ」と、裁判官に責め立てられます。彼が出した判決は3年6か月の実刑でした。

裁判の決着は最高裁に持ち込まれました。ところが最高裁の直前に弁護士の大貫大八が癌で倒れ、養子の正一が役割を引き継ぐことに。彼は父親の分まで立派に綾子を弁護し、綾子もまた声を詰まらせて生い立ちを話しました。その壮絶極まる内容に法廷は静まり返り、傍聴席からはため息や啜り泣きが聞こえてきたといいます。

厳正なる審議の結果、最高裁が下した判決は懲役2年6か月……執行猶予3年でした。既に34歳になっていた綾子は製菓会社に再就職し、彼女の子供たちはコトの娘として戸籍に入り直しました。付け加えると正一が貧しいコトから受け取った報酬は鞄一杯のジャガイモであり、「家の皆で美味しくいただきました」と丁寧に告げている所に、大貫親子の人柄が表れていますね。

大八・正一親子と綾子の交流はその後も続き、綾子は毎年欠かさず感謝のハガキを出していたものの、「手紙を送るのは今年でやめて、貴女は貴女の人生を生きなさい」と返信で諭されたことをきっかけに、彼等との連絡を絶って日常生活に戻っていったそうです。以降の消息は知れず、「栃木実父殺しの加害者にして被害者」として、当時の新聞や人々の記憶に名前を留めるのみとなりました。

朝ドラ『虎に翼』の裁判のモデルにもなった事件

以上、尊属殺人罪を見直す契機になった栃木実父殺しの解説でした。
この事件は朝の連続テレビ小説ことNHKの朝ドラ、「虎に翼」のハイライトで取り上げられ、令和に再び注目を集めました。
劇中では実力派女優・石橋菜津美が木戸綾子がモデルの斧ヶ岳美位子を力演し、視聴者の感情を揺さぶります。栃木実父殺しの本質を理解する上で大変参考になるので、気になる方はぜひご覧ください。

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