皆さんは 谷崎潤一郎や横溝正史の小説で扱われた奇病、または妖怪に属する人面瘡をご存じですか?
もともとは人面のできものを指し、グロテスク極まる見た目もさることながら、命を得たように飲み食いしたり喋ったりして宿主を苛む怪異として恐れられてきました。
今回は江戸時代から語り継がれる人面瘡の正体と、摩訶不思議なルーツを辿っていきます。
人面瘡は中国大陸から渡ってきた
人面瘡または人面疽が初めて歴史上に登場したのは、中国の唐代の書物『酉陽雑俎』十五巻。
ある日のこと、江東の商人の左腕に眉・目・口が揃った人面の腫物ができました。
不思議と痛みはなかったものの口の部分に酒を注げば赤くなり、食べ物を与えれば腹のように膨れるのが気味悪く、何もやらずにほうっておけば宿主を罰するように腕が痺れました。
すっかり思い詰めて医者に相談したところ、「金石草木あらゆる薬を飲ませてごらんなさい」と助言を受け、半信半疑で色々試してみると、貝母(ばいも。アミガサユリの鱗茎を乾燥させた生薬の一種)を含んだ途端ギュッと眉を寄せ、口を引き結ぶではありませんか。その反応から特効薬を悟り、葦の筒で無理矢理口をこじ開けて貝母を流し込んだ結果、数日で瘡蓋ができて綺麗に完治したそうです。
これがのちに日本に伝わり、浅井了意『伽婢子』における、主人公を百姓に変えた話に繋がります。
横溝正史の『人面瘡』の原案とされる『怪霊雑記』には、ある老人が若い頃殺した女に祟られ、数十年人面瘡に苦しむ話があります。こちらはどんな治療や祈祷も全く効かず、何度切り落としてもまた生じるせいで、最後は人里離れた山奥に隠れ住むしかなくなりました。
延宝時代の怪談集『諸国百物語』には、下総国臼井藩に住む男が手籠めにした下女に呪われ、両肩に人面瘡を生じた話が載っています。この人面瘡は絶えず男の左右から話しかけ、無視されると呼吸を妨げて苦しめました。
最終的には僧侶の法華経によって腫物から蛇が飛び出し、その蛇を塚に埋めて手厚く弔ったことで一命をとりとめるのですが、嫉妬に狂った妻が下女に手を掛けた悲惨な経緯を顧みるに、本懐を遂げさせてあげたかったと思えてなりません。
曲亭馬琴の小説『新累解脱物語』では、殺された累の怨霊が人面瘡と化して毒気を吐き、それを浴びた人々は累と同じ醜い顔に成り果てました。『中華若木詩抄』で語られる知玄法師の腫瘍には目・耳・口・鼻が揃い、これがことあるごとに食べたり笑ったり引き攣れて痛む上、表面には「晁錯」の二文字がおどろおどろしく浮かび上がり、知玄の異変を案じる周囲を戦慄させました。晁錯とは彼が前世で殺した相手の名前である、というのがこの因縁話のオチです。
以上のように人面瘡は日本人にとって身近な怪異であり、長い間人の業や因果の産物と見なされてきました。むごい仕打ちを受けた被害者の怨念が加害者に取り憑く、というのが一般的な流れです。
文政年間には幕府の御用蘭方医・桂川甫賢が、仙台在住の商人が患った人面瘡を診察し、奥医師である栗本丹州のスケッチが出回るなどして、その存在を広く世に知らしめました。
まんま食い・膝和郎・ヒザヤラウを筆頭とする呼び名の多さも、人面瘡がいかに日本中に蔓延していたかを物語ります。
人面瘡の正体は西郷隆盛を苦しめた象皮病?
ここまで読んで人面瘡は怪異なのか、それとも実在の病気なのか、疑問に思った方は少なくないはず。
江戸時代の随筆集『筆のすさび』には、当時の医師が診察した人面瘡の詳細な所見が載っています。引用すると「開いた傷口は人間の口に見え、皺の寄った窪みや傷穴は目鼻に似て、ひくひく痙攣する患部はあたかも呼吸しているようだ」……医学者の桂川甫賢はさらに分析を進め、これを一種の奇病、腫物の亜種として位置付けました。
そして近年、人面瘡の正体に関する斬新な仮説が浮上しました。結論から述べると、それは象皮病です。
フィラリアなどの寄生虫が人間のリンパ管やリンパ節に寄生すると、重度の呼吸困難および心不全が引き起こされます。このフィラリア症の後遺症として挙げられるのが、身体の末端の皮膚が増殖・硬化し、ゾウの皮膚のようにむくんでたるんだ様相を呈す象皮病です。
特に陰嚢・陰茎・上腕・乳房・外陰部における発症率が高いとされ、これは『伽婢子』の百姓と同じ部位になります。注目してほしいのは『伽婢子』の記述。体調を崩して寝込んだ半年後に人面瘡ができたことを踏まえると、もともとフィラリア症にかかっていたのではないでしょうか?江戸時代には日本中に蔓延し、天才浮世絵師の葛飾北斎が象皮病患者の絵を描いた他、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも象皮病を詠んだ狂歌が登場しました。
日本で最も有名な象皮病患者といえば、西南戦争で活躍した薩摩藩の英雄・西郷隆盛でしょうか。西郷隆盛は若い頃に投獄された際、不衛生な環境でフィラリアに感染し、象皮病による陰嚢の肥大に悩まされました。結局陰嚢の異常な腫れは生涯治らず、西郷は乗馬や歩行に支障をきたし、西南戦争の移動時には駕籠を使用せざるを得ませんでした。その大きさは赤ん坊の頭サイズだったとも言われ、皆に愛される西郷どんの苦労が偲ばれます。
1877年(明治10年)年に西南戦争に敗れ、部下に首を打たせて壮絶な最期を遂げますが、この際に首が別の場所に埋められてしまった為、腫れ上がった陰嚢で遺体の判別を行いました。
一方海外に目を向ければ、映画『エレファントマン』のモデルになった実在の人物、ジョゼフ・メリックがいます。彼は担当医のヘンリー・ラドクリフ・クロッカーによって皮膚弛緩症および神経腫性象皮病と診断されるまで、見世物一座で暮らしていました。現存する写真には頭部と顔半分と右腕、さらには腹部までもが変形したジョゼフの姿が残っています。側頭部に生えた巨大な瘤が三個目の頭に見えるため、人面瘡のルーツが象皮病である可能性は極めて高いでしょうね。
様々な創作や怪談で扱われる人面瘡
人面瘡を扱った創作は小説だけではありません。漫画の神様と名高い手塚治虫の漫画『ブラックジャック』には、よりにもよって顔面に人面瘡を生じた患者が、ブラックジャックを訪ねて来るエピソードがあります。
近年の作品では鬼畜特殊設定パズラーの異名をとるミステリー作家、白井智之が『おやすみ人面瘡』を刊行しました。
因習村ミステリーの元祖である金田一耕助シリーズには、腋の下に妹の人面瘡を秘めた女性がヒロインとして登場。腋窩(えきか)はリンパ節が集中する人体部位なので、人面瘡=象皮病節をとるなら非常に納得がいきますね。
人面瘡が我々の心をとらえて離さないのは、呪いか奇病か判じかねるその生態と、たかが腫物の分際で喋って飲み食いする、底知れぬ不気味さにあるのかもしれません。
文明開化が謳われる明治期に入っても人面瘡の報告例は尽きず、明治15年(1882年)の京都滋賀新報では、三重県南部在住の農夫の股に生じた人面瘡の生態が報じられています。
記事曰く口をぱくぱくして食べ物を欲しがったので試しに分け与えたところ、一升ほどの白米をあっというまにたいらげ、まだ物足りなさそうにしていたそうです。これまた妖怪の二口女を彷彿とさせますね。
ますます深まる人面瘡の謎
人面瘡のルーツが象皮病だと仮定しても、それが飲み食いして喋るはずはなく、解けない謎は残っています。大前提として、人面瘡が口にした食べ物はどこへ行ってしまったのでしょうか?
宿主の胃に吸収され栄養になるのなら痩せ衰えるのは不自然ですし、何もかも科学で解決できると奢らず、被害者の祟りと考える方が腑に落ちるかもしれません。
featured image:Asai Ryōi (浅井了意, Japanese, *1612, †1691), Public domain, via Wikimedia Commons


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