UMA界隈では、「シーサーペント(大海蛇)」というタイプの大海を泳ぎ回る巨大な大蛇が存在する。
だが、19世紀初頭にマサチューセッツ州に出現したヤツは、それほど有名ではない。
1817年 マサチューセッツ州ケープアン沖
マサチューセッツ州の北東部には、大西洋に面したケープアンという名の半島が今でも存在する。
1817年8月、ケープアン沖を航行していた帆船の乗組員たちが、海上に不審な生物が泳いでいる光景を目にした。蛇のような頭を持つ巨大な生物が、帆船の横を泳いでいる。
乗組員たちは脅威であると感じ、備え付けられた大砲を巨大生物めがけて撃ち、追い払った。
その出来事があってから、マサチューセッツ州の一大漁港であるグロスター市、ケープアン周辺の漁師や住民たちの間で巨大生物の目撃情報、遭遇体験が続発する。
背中にコブがある、蛇ではなく亀のような頭を持っていた、全長18メートルはあった、いや恐竜みたいな。
巨大生物の風貌は証言ごとに異なっていた。
現在であれば「なにか海に実在する生き物を見間違えたんだろ?」と、一言で片づけられそうなものだ。
しかし19世紀当時のアメリカでは、そうはいかなかった。
真剣な議論と検証の的となったのである。
シーサーペントの目撃情報がマサチューセッツ州沿岸の住民たちを賑わせていた当時、同じ州にあるボストン市には「ニューイングランド・リンネ協会」なる博物学の振興を推進する団体があった。
決して未確認生物やオカルトを愛好する物好きの集まりではない。著名な植物学者たちも所属する、れっきとした博物学の法人である。
その協会は博物館の建設などの社会活動を行うかたわら、シーサーペントの調査に乗り出すことになる。アメリカは未だ知られざる部分が多く、ひょっとすれば新種の生物が本当に存在する可能性を考慮しての調査だった。
手堅く体系的な聞き取り調査を行い報告書を作成したものの、その内容をめぐり協会関係者たちは大わらわになった。調査結果を真剣に検討した結果、未知の大型海生生物が存在する可能性を否定できなかったためである。
大論争の末、当然ながら結論は出なく、やがて協会はシーサーペントとは無関係な理由によって解散した。
博物学者たちがシーサーペントの検証をめぐる激論を交わしていた頃、周囲にいた住民たちはシーサーペントの捕獲に熱狂していた。もちろん捕獲には成功しなかったが、どこかハーマン・メルヴィル『白鯨』を思わせるロマンティックな行動原理ではある。
現在でも、グロスター・シーサーペントの目撃情報は時たまマサチューセッツ州で語られるらしい。
他のUMAの例に漏れず、地元では観光名物のひとつとして扱われているのである。
なぜグロスター・シーサーペントはマイナーなのか?
ところでグロスター・シーサーペントは、UMAのなかでもマイナーな存在であり続けている。
それは何故か?
筆者個人が推測するところ、20世紀以降のポップカルチャーとしてのUMAに必要不可欠な「映像」が存在してなかったからではないだろうか。
「外科医の写真」に始まるネッシーの写真や記録映像、ビッグフットが森へと去っていく16ミリフィルム、各地で撮影されたUMA映像の数々。
真偽はともかくとして、UMA人気にはインパクトの強い写真や動く映像が欠かせない。
逆に言えば、目撃談だけでは地域伝承の域を出にくい。
どれほど有名になっても、映像が存在するUMAと比較すると知名度の広がりには限界がある。
この点は、同じく20世紀に世界中を騒がせたUFO現象にも通じる部分がある。
ネス湖へ観光に訪れる人々の多くは、ネッシーの実在性そのものよりも伝説や物語を楽しみにやって来る。
それでも脳裏に刻まれたネッシーの写真や映像を眼前の光景に重ね合わせ、「ひょっとすると……」と空想に浸る。
その瞬間こそが、ネス湖に限らず「UMAを観光する」楽しみ方なのだと思う。
映画のロケ地を訪れ、スクリーンで見た場面を現地の風景に重ね合わせるように。
人は実在する風景のなかに、自らの記憶や物語を投影して楽しむ生き物なのである。
グロスター・シーサーペントが20世紀前半から半ばに出現して騒ぎになっていれば、それらしき写真や8ミリフィルムが世に出回ったことだろう。
そして、その映像は世界中のUMAファンの脳裏に焼き付いていたはずだ。
それを欠いてきたために、グロスター・シーサーペントは版画に描かれた巨体に比して、どこか地味な存在として地域社会に溶け込みながら今に至るのであったのだろう。
featured image:Wikimedia Commons 1817 Gloucester sea serpent (Public Domain)


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