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お爺ちゃんの太平洋戦争記

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さかのぼること約25年ほど。私が小学生の頃に、大好きだったお爺ちゃんから聞いたお話です。
舞台は太平洋戦争末期。お爺ちゃんは、まだ若かりし一人の青年でした。

「喉が渇いて渇いて仕方ない、とにかくカラカラだったから、飲める水分があれば泥水でも飲む。」
空腹よりも何よりも辛いのは喉の渇きだったそうだ、水たまりの泥水を何度飲んだことかとお爺ちゃんはよく言っていた。

整備もされていない果てない道を一日に驚くほどの長い距離を歩く、24時間中歩くので眠る時間がない。
「歩きながら寝る」という技術を見つけ出したくらいだそうだ。

そんな極限に近い状態で、お爺ちゃんは不思議な体験をした。

あるとき敵軍に攻撃された、無我夢中で走って身を隠そうとしていたのだが、運悪く沼に脚を取られてしまった。
文字通りの「泥沼」にはまり、あっという間に腰の位置くらいまでの泥の渦にのまれた。
必死でなんとか脱出しようともがく・・・だが、もがけばもがくほど抜け出せない、焦る。

お爺ちゃんは、このとき死を覚悟したそうだ。

死を覚悟した瞬間、仏様のお顔が脳裏によぎり、無我夢中で般若心経を何度も唱えた。
泥はどんどん身体を覆いくし、もう肩のあたりまで埋もれている。
無心に般若心経を唱える・・・と目の前に、一本の太い杭のようなものが現れた。

お爺ちゃんは、必死で目の前の杭を掴む。
よし、これを昇れば脱出できると思い、お爺ちゃんは渾身の力でとにかく上へ上へと昇り、気づいたときには脱出できていたそうだ。

そして沼に目をやると、その杭は消えていた。
お爺ちゃんは呆然としながらも、とにかくまた敵軍との攻防のため必死に走ったそうだ。

この話をお爺ちゃんは夢中で話してくれたとき、子供であった私は若干怖かったが、それよりも生き残ったお爺ちゃんが素晴らしく勇敢だと思った。

お爺ちゃんは右の親指が無い、敵との攻防の際に失ったそうだ。
そのことは誇らしそうに話してはいたが、戦友たちのことを話すときには悲しそうな表情だった。

お爺ちゃんは青春時代にいろんなものを失ったが、それ以上にもっと壮大なものを得て帰ってきたんだなあ・・・と改めて思った。

※画像はイメージです。

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