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疎開の子どもたちを受け入れた祖母

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この話は、昔祖母から聞いた戦争中の話です。
もう亡くなってしまった祖母ですが、この話が印象的で忘れられません。

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田舎は疎開先で子どもたちがたくさんいた

私の祖父母は東北の農村地区に住んでいました。戦時中、貧しい暮らしではありましたが、爆弾が落ちたり火の粉が飛んでくるようなことはなかったそうです。それでも祖父は戦争にいつ行くか分からず、訓練を受けていたようです。

祖父は当時、戦争に行きたいと思っていたと言っていました。そんな田舎町には、戦時中たくさんの子どもたちが疎開してきたそうです。小さな学校では疎開してきた子どもたちによって急に児童・生徒の数が増え、教室はいっぱいになったと聞きました。

臨時教員になった祖母

そのように学校では急に生徒数が増え、祖母は近くの学校で先生をすることになりました。祖母には教員の資格はなく、特別な知識や経験もありません。

そんな祖母が教員として駆り出されるほど、戦時中の田舎では子どもが増え、学校は一時的な教員不足に陥っていたようです。祖母は思いがけず先生になれて、楽しかったそうです。

放課後も子どもたちを受け入れた祖母

疎開してきた子どもたちの中には、両親と離れ離れになってさみしい思いをしていた子どもたちもいました。そんな子どもたちのために、祖母は放課後も子どもたちと一緒にいたことがよくあったそうです。

子どもたちを家に呼んで勉強をしたり、遊んだりしていたようです。時にはみんなで遠足のように、山に山菜を採りに行ったこともあったと聞きました。

戦争の終わり

まもなく戦争が終わり、疎開していた子どもたちは元の地へ戻っていきました。祖母も先生をする必要はなくなりました。祖母は、戦争が終わったのは嬉しかったけど、子どもたちとのお別れは少し寂しかった・・・と語りました。

戦争というと悲惨な話が多いですが、戦争をきっかけとしたひととの触れ合いもあったのだと祖母から学びました。
どんな時も人と人は触れ合い、支え合っていけるのだと思います。

※画像はイメージです。

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