京都市右京区に、嵐山で有名な嵯峨野と呼ばれる地域があります。
その嵯峨野の奥に位置する奥嵯峨野というところに、無数の石仏や石塔が並んだ神秘的な雰囲気の漂う寺。
今回は、奥嵯峨野の地や、そこに佇む神秘の寺等についてお話します。
かつての風葬地、奥嵯峨野
京都の市街地はたいへんにぎやかで華やかです。多くの観光スポットがあり、たくさんの人々で賑わっています。
一方で、そのような雰囲気とは全く異なる、静寂に包まれた厳かな場所も京都には数多く存在しているのです。
京都の嵯峨野の奥に位置する奥嵯峨野は、静かに散策を楽しむことのできる地ですが、ここは昔、風葬地として利用されていました。お墓に埋葬してもらえない庶民が多かった当時、この地でたくさんの亡骸が野ざらしとなっていました。
昔の奥嵯峨野は、成仏できない霊が多くさまよう場所であったのかもしれません。
無数の石仏や石塔が並ぶ化野念仏寺
奥嵯峨野に野ざらしとなっていた多くの亡骸を憐れんだのは、日本で有名な僧侶の一人である空海でした。
空海は、その亡骸達のために、奥嵯峨野の地に「化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)」を建てました。
空海の働きにより、風葬は土葬となったのです。
寺には、地域に散在していた無縁仏や石仏、石塔等が約8000体並び、現在も供養され続けています。
石仏や石塔が無数に並ぶ場所を西院の河原といいますが、この場所に立つと、まるであの世に迷い込んだかのような錯覚を覚えます。
「あだし」には、はかない、むなしいという意味があり、無数の石仏や石塔を眺めていると、人の命のはかなさ、無常さ等を感じます。
西院の河原を取り囲む石垣の外からは西院の河原の写真撮影が可能ですが、西院の河原の中では禁止されています。
あの世の中であるからこそ、むやみやたらに写真を撮るようなことをしてはならない、静粛な気持ちを持って訪れなければならないということなのでしょう。
毎年8月には、西院の河原に祀られている無縁仏にろうそくを灯して供養する「千灯供養」という行事が行われます。
穏やかな温かいオレンジの灯りがともされ、たいへん幻想的な光景が当たり一面に広がります。
静寂に包まれた世界の中に身を置けば、人生のはかなさや命の大切さ等を感じることでしょう。
諸行無常の響きあり
あの世といってもよいような場である西院の河原の静寂は、訪れた人々に対してさまざまなものを問いかけてきます。
大昔の人々の想い、自身の身近な人についてのこと、そして自身の人生について思いを巡らすこととなるでしょう。
化野念仏寺を訪れると、人生とは一瞬のものであり、いつかは消えてしまうものであることを真に実感します。
命の大切さ、命の流れ、この世とは等、多くのことについて考えさせられます。
訪れる際は、厳粛な場に足を踏み入れさせてもらっているという気持ちを忘れないようにすることが大切です。
※画像はイメージです。
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