この話は私が子供の頃から10代後半まで、祖父から語り継がれるようにして聞いた出来事です。
戦争中に故郷から広島の戦地に集められた兵隊さんは、神戸、岡山など広範囲の出身者がおったそうです。まだ若い兵隊は戦地というのにみんな陽気で、暗雲の曇りもなかったそうです。
何も知らない若者が体験した戦争の後遺症
祖父は広島の地で昼間には日本軍の看護をしていました。包帯を巻いたり色々と。そして、今の医療のように麻酔などないので、もがいたり苦しんだりする中で、切断、手術ということもしたそうです。そして、かわいそうにも命が助からない人は見捨てていたそうです。
夜間は、食糧担当で、みんなの食事を準備したりして働いていたそうです。そこでも盗人などがいたそうですが、祖父は食料庫の番頭のような役目があったので自分の食料を減らしてごまかしていたと言います。それでも、兵隊の男どもはみんな危機感がなく陽気であったそうです。
何処の誰が、神戸出身でインテリだとか、遊んで楽しいのは日本人女性よりも朝鮮系女性の方だとか言い合っていたそうです。
そして衛生面が最悪で、まず水虫、うじ、インキンタムシ、性病系は当たり前のように伝染したそうです。そして、祖父は毎晩のように夜になると、なにかにうなされて寝付けなかったそうです。夢に出てきた光景は、もう死を待つしかないという人を捨てにいく光景だったと言います。
その時の重労働がいやでうなされると言うよりは、死が近い人間の表情やうめき声がまぶたの裏から離れないといいます。
生きている罪悪感もあったそうです。戦争が終わる時、友人たちは戦争が終わったという一報を聞くことがなくそのまま敵に突進して命を落としているそうです。
連絡のニアミスで突撃した時間が、戦争の終わった時間であったという悲劇を見たそうです。
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