空襲警報が鳴った時

この話は私が小学校の時に聞いた話で、祖母が国民学校5年生、1945年ぐらいの出来事です。この頃は毎日のように空襲警報が鳴っていました。
3月の東京の空襲では甚大な被害を出し、都市部にも空襲の驚異は広がり、4月にはとうとう沖縄に米軍が上陸します。
そんな時代を生きてきた祖母から、よく戦争の悲惨さや恐ろしさを聞かされていましたが、ある日、いつもとは違う戦争話を聞かされたのです。

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いつもと違う戦争の話

祖母の家では一匹の三毛猫が飼われておりました。家の縁側で寝てばかりの猫でしたが、祖母が学校から帰ると玄関先に出迎えてくれたり、冬になると布団の中に入り込んできたり、足元にすりよってきたりなどとても可愛らしい猫だったそうです。

猫の話は一旦置いて、空襲から逃げる際に非常用かばんの中に貴重品や高価なもの、大切なものなどを詰め込んでいつでも逃げられる準備をしていました。
両親共働きな上に、休みの日も防火訓練や竹槍訓練に出ている事が多い両親(私から見れば曽祖父母)は日中は留守にしていることが多く、祖母は家の留守を任されており、空襲が起きた際には貴重品を入れた非常用カバンを持って逃げるようにと両親に言いつけられていたのです。

ある日の事

学校から帰宅したばかりのとある昼下がりの日、祖母は一人で自宅で留守番をしていました。
家でしばらく一人で過ごしていると、突然町中に大きなサイレンの音が鳴り響きます。空襲警報、とうとう祖母が住んでいた町が標的に。

祖母が住む町に爆弾や焼夷弾が降り注ぎ、パニックになった祖母は防空頭巾を被り、普段つかっているカバンのなかに飼い猫を詰め込んで、他の荷物を放ったらかしにし命からがら逃げ回ります。
祖母は近所の神社に向かい、神社のさらに奥にある山の中に逃げ込むと、山の上から見下ろす町は降り注ぐ爆弾や焼夷弾で火の海です。

空襲警報が解除され、町を焼き尽くす炎も鎮火され、祖母は山から下山すると、見慣れた町は見る影もなく焼け野原。
多くの人が亡くなり、その中には知り合いも多くいたそうです。

家族は無事だったけれど

祖母の家も全焼してしまいますが、奇跡的にも祖母の家族は無事でした。
空襲が終わると祖母のカバンの中に詰め込まれた飼い猫は、喉をならしながら寝ていたそうです。

しかし、空襲が終わって冷静になると、とんでもないことに気づきました。
非常用のカバンを家においたまま飛び出してしまい、その結果、祖母の家の全財産は猫だけになってしまいました。

その後の祖母たちの一家は全財産を失って貧しい生活を強いられながらも、なんやかんやで幸せな生活を送り、この空襲の日のエピソードは祖母が亡くなるまで笑い話として語られます。
ちなみに祖母の家で飼われていた三毛猫は、戦後まで生きて天寿を全うしたそうです。

※画像はイメージです。

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