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秋山真之と瀬戸内海賊

秋山真之は伊予の国、今の愛媛県松山市の生まれです。

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瀬戸内海賊

戦国時代、瀬戸内海を牛耳っていたのは村上水軍でした。
芸予諸島の因島、能島、来島をそれぞれ本拠とし、緩い同盟関係で繋がった村上姓の三氏が村上水軍と総称されています。

彼らは日本最大の海運路・瀬戸内海を征し、海上交通を牛耳ることで成り立った戦国大名です。
従って水上艦船による戦術に精通し、そのため水軍、または海賊と称されたのです。

同時期の四国伊予の大名は河野氏ですが、この家も平安時代の昔から伊予水軍を率いた武家の名門でした。
河野氏は源平合戦で源氏方の水軍として、優勢な平氏水軍と対峙しました。
また鎌倉時代には、元寇の役で蒙古の多数の軍船相手に敢闘し、勇名を馳せました。

photographer is unknown, Public domain, via Wikimedia Commons

能島流海戦古法

秋山は大尉時代に胃病治療のために長期入院したことがあり、この時に気の晴れない退屈な日々過ごしていました。
無聊を慰めるためと、そんな彼に先輩が持ってきてくれたのが、能島流海戦古法という水軍兵書の古書でした。
それまで鬱々としていた秋山はこの古書との出会いで、目を輝かせ会心の笑みを湛えるようになったと謂います。

秋山は水上艦船による戦術を、米国に自費で留学するほどの熱心さで学んできました。
そしてこの海戦古法の古書により、日本古来の海賊の戦い方の中にその極意を見つけました。
かの有名な丁字戦法などは海賊戦法に通ずるものがあるのです。

後に日露開戦史を編纂していたある担当武官は、日本海海戦の海戦航跡図を調べながら、
「どうもどことなく昔の水軍のにおいがするようだ」と感想を漏らしていたと謂います。

欧米の近代的海戦術と日本の伝統的海賊戦法を融合させることにより、超大国ロシアのバルチック艦隊に完勝し得る戦術が編み出さた、と言っても過言ではないでしょう。

秋山家の出自

真之の秋山家は伊予松山藩・久松(松平)家の家臣でした。
下級藩士ではありましたが、松山で代々続いた古い武家で、遡れば平安時代からの伊予国の名家・河野氏に繋がると謂われています。

秋山は普通の大学への道を経済的理由で断念して、ある意味では心ならずも海軍に入りました。
しかしその後は水を得た魚のように海戦の研究に全精力を傾けました。

米国では、海軍戦略の世界的権威、アルフレッド・セイヤ―・マハンのもとへ押しかけて、戦術研究について強引に教えを乞うなど、欧米の海戦戦術を徹底的に勉強しました。
その上で日本古来の海賊戦法に出会ってそれを完成し、よってその海戦理論で国を救うという大功績を残しました。

秋山の人生と生き様をこう見る時、彼の体の中に流れる、千年にも及ぶ海賊の血を感じずにはいられません。

歴史大好きジイサンです。
血は争えないとはよく言ったものです。

参照: 知将 秋山真之 生出寿 著
featured image:photographer is unknown, Public domain, via Wikimedia Commons

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