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食べ残しは許さない祖母の話

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食べ残しは許さない母型の祖母は、よく私が食べ残しをすると酷く怒られたものです。
他の事では叱りつけられる事はありませんでしたが、これに関しては一切許される事はありませんでした。相当食べ物に困窮した事が伺えます。

母の実家は元々はおこめやさんだった事もあり、米については特に困った事はなかったそうですが、月島に住んでいたので秩父に疎開したそうです。
しかし秩父は、小麦粉が中心でうどんが打てないとなりません。うどんが打てないのでかなり困ったようでした。

秩父は夜寒くなるので、米がなかなか育てられません。現在と違って朝晩は結構冷えたようです。
配給の食べものは限りがあり、それを人数分で分けると十分な栄養は摂取できないので結局は栄養失調でした。

祖父は旧帝国海軍の軍人として赤紙を貰いましたが、体調を崩したようで返されてしまいました。どうも誰でも徴兵される訳ではなく、体の弱い人はそもそも軍人としては不向きとして判断されていたようです。祖父は兵役についてあまり口にしませんでした。いい思い出はないのだと思います。

そんな中よく話してくれたのが、東京大空襲を始めとした本土の空襲はよく覚えているようでした。
秩父から真っ赤に燃えた東京が見えたようです。本当に真っ赤だったと言っていました。

自分の家は大丈夫なんだろうかと心配しながら見ていたに違いありません。でもどういう訳か家は助かったような話を聞いています。
実際に私も祭りの時にこの家によく泊まらせてもらいました。

※画像はイメージです。

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