母に聞かせてもらった、おばあちゃんの空襲体験談です。
おばあちゃんは東北の田舎に住んでいたので、戦時中も疎開することなく自宅の畑を耕して食べ物を作り、生活していたそうです。男性たちはもちろん戦争に行ってしまった人が大半でしたが、残った女性たちでそのまま農業をして、時には都会部へ野菜を売りに行ったりしていたそうです。
戦争なのにのんびりと暮らしていた
あまり戦争という感じはなくのんびり暮らしていたと言います。畑と田んぼしかない田舎だったので、戦争の雰囲気はあまりなく農業をしていたおかげで食べ物に困ることもなかったそうです。
当時、おばあちゃんには生まれたばかりの赤ん坊がいました。
私の母のことです。
おばあちゃんは畑に出る時は、赤ん坊だった母をおんぶして一緒に連れて行き、あぜ道に寝かせて畑仕事をし、休憩の時にお乳をあげたり赤ん坊を見ながらお昼ご飯を畑で食べていたそうです。
しかし、終戦の年のある日
いつもどおりおばあちゃんはあぜ道に赤ん坊を寝かせて、畑仕事をしていました。そこへ見たこともない米軍の爆撃機が飛んできたのです。おばあちゃんは初めて見る米軍機にびっくりし、一目散に畑から逃げ出したそうです。
赤ん坊を置いたままで!おばあちゃんはやみくもに走り、一応掘ってあった防空壕に逃げ込み爆撃機が行ってしまうのを待ったそうです。
結局、爆撃機は空襲をしたわけではなく、付近を低空飛行しただけでどこかへ行ってしまいました。爆撃機が行ってしまい、辺りが静かになってホッとした時に初めておばあちゃんは、赤ん坊を畑に置いてきたことを思い出したのです。
もしも
急いで畑に戻ると赤ん坊は泣くこともなく、無事でいたそうです。
自分の赤ん坊を置いて真っ先に逃げ出したおばあちゃん・・・
もし米軍機が爆撃をしていたら、あなたも生まれてないかもしれないのよ!と、よく、母は言っています。
※画像はイメージです。
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