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陸軍書記官の家の場合

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私の曽祖父とその息子の祖父の話をします。

曽祖父は旧日本軍陸軍のどこかの書記官だったそうです。
第一次世界大戦や日清戦争の辺りでは戦車に乗っていたのですが達筆な部分を買われて出世、書記官になったようです。
ただ私は旧日本軍の話は詳しくないですし、曽祖父は私が生まれる前に他界しているので祖父と母が曽祖父から聞いた話をします。

目次

戦時中の方が恵まれていた我が家

曽祖父は旧日本軍の書記官ということもあり、息子である私の祖父と満州に疎開していました。
満州にいた頃も曽祖父は優遇された地位にいたため、それなりに恵まれていたようです。

その当時から曽祖父は日本が負けるということを知っていました。
他の日本国民だって気づいてはいたと思います。確証がないし、非国民扱いされたくなくて言えないだけで。

しかし曽祖父、そこまで地位は高くなくてもそれなりの役職にいたら、誰よりもどういう状況かわかっていて、太平洋戦争が始まる前に、年齢だとか体調不良だとか何か理由をつけて「仕事から」帰ってきていたそうなのです。

戦争の影響の少ない地域に家族ごと疎開して、そこでも元々の地位を利用し、ほかの人よりは恵まれた生活をしていました。

戦争が終わった後の方が辛かった

曽祖父たちが本当に辛かったのは終戦後でした。
大日本帝国軍がなくなったんだから、お父さんの会社が倒産した感じでしょうか。

戦後は地主制度が無くなり、開墾したらしただけ、そこが自分の家の敷地となるのです。
ですが、そこも今までの地位を利用して見つけ、開墾した土地が現在の私の実家です。

土地はゲットしたけど

まずは食べるために田んぼと畑を耕すのですが、そこは元兵隊さん。
まず作物に合う土がどういうものなのかわかりません。

現在の実家は今でも米農家ですが、隣のお家(昔からずっと農家の家だそうです)の田んぼとうちの田んぼの質が違うそうで、今でも我が家だけが苦労しています。

慣れない百姓仕事に悪戦苦闘し、今までそこまで困ることがなかった食べ物にも困る毎日は、戦時中の頃より大変だったと祖父は話していました。それに軍隊時代から貯めていたり恩赦を頂いたりで、そこそこお金をもっていたのですが生活が苦しいために徐々に無くなっていき、なくなってしまうと媚びにきていた周辺の人たちもあっという間にいなくなったと言います。

仕方なく曽祖母も内陸地の実家の周辺で魚を行商して歩いて生計を立てていたようです。

祖父はといえば

祖父は、実家の周辺に住んでなく東京で税務士をしています。

長男が家を継ぐのが当たり前だった時代ですが、状況を判断してさっさと別の仕事をはじめようと決心したのです。
農家を継ぐものだと思っていたのに税務士になると言っいだしたものだから、気性が荒い曽祖父はナタを持って追いかけ回した話も後世までしっかり伝えられています。

普通では考えられない、戦争が終わってしまってからの方が苦労したという話です。

※写真はイメージです。

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