この話は私が中学の頃おじいちゃんからから聞いた話で、第二次世界大戦中、祖父はアジア方面に陸軍として最前線にたっていたようです。
学歴もない祖父は鉄砲を持って、何日も飲まず食わずで敵地を進行していたそうです。
敵地を進行中、敵からの銃撃の雨を戦車のかげで身を伏せて避けていることが度々あったようですが、恐怖心から頭をあげてしまう仲間たちの頭が撃ち抜かれるシーンを何度も目にして来たと行っていました。
今では使用することはないものですが、銃の撃ち方とかも教えてもらったでそうで、「撃った衝撃で少し上にいってしまうために、標的のちょっと下を狙う。」と得意そうにお祖父ちゃんは話していたのを思い出します。
他には特攻隊として戦闘機に乗り込み敵地へ向わされたこともあったそうです。
そんなもの運転したことは当然なく、やり方を教えろといっても当時の上官は「自分で覚えろ」と無茶苦茶な世界だったようです。
運よく戻ってくることができたようですが、特攻隊は戻ってきてはいけないもので、戻ってきてからの対応がとても冷ややかだったそうです。しかし無事に帰還できたことは喜ばしいことで、そのときの強靭な精神力が培われたことでその後商売にも成功して、普通またはそれ以上の生活をてにいれたとのことです。
目の前で仲間が死んでいくこと、敵とはいえ自分の手で人を何人も殺していくこと。いまの平穏な日本で暮らしている精神状態ではとてもできないことだと言ってまさいました。
だからこれからは戦争はおこしてはいけない。子供が孫が同じような目に会わなくてよい世界になってほしいと言い残し、先日波乱の人生の幕をとじました。
この記事は面白かったですか?
思った事を何でも!ネガティブOK!