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アメリカ軍の防空巡洋艦「アトランタ」級

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太平洋戦争でアメリカ海軍は航空戦に対抗する艦艇として軽巡洋艦「アトランタ」級を投入しました。
対空戦闘能力が高い「アトランタ」は太平洋の激戦を戦います。

目次

防空艦の建造

第二次世界大戦前夜である1930年代
航空機の発達は海軍艦艇にとっても脅威になりつつありました。
アメリカ海軍は航空機に対抗できる艦艇、防空艦となる艦を作ることにしました。
それが「アトランタ」級軽巡洋艦です。

165mの基準排水量6000トンの船体に38口径5インチ(12.7センチ)連装両用砲の砲塔が主砲として8基もあります。
対艦・対地・対空どちらへの射撃も可能な両用砲とはいえ、主砲の砲塔が8基もある巡洋艦は他にない。
艦艇の高射砲である高角砲にもなる両用砲が連装8基、16門もあると言うのは他の艦艇も援護すると言う意味合いが強い。
「アトランタ」級が主砲としている両用砲、5インチ砲MK12は対空の射程Ⅰ万mで、砲弾の発射は毎分12発から15発と連射が速いのも特徴的だ。

米軍の巡洋艦や戦艦が両用砲を副砲として扱っているのも見ても、対空重視としてあえて、両用砲が主砲になった事がうかがえます。
機銃は28ミリ4連装機銃4基、20ミリ単装機銃6基と機銃も多めに装備されている。
そんな「アトランタ」級の1番艦である「アトランタ」が竣工したのは1941年12月24日、太平洋戦争が開戦してすぐの時期だった。
そこから戦争中に同型艦8隻が建造された間に合った兵器でもあるのです。

激戦を戦った「アトランタ」級

航空機が主戦力である太平洋戦争に間に合った防空艦の「アトランタ」級でしたが、試練となる戦いに挑む事となります。
それが1942年(昭和17年)11月13日に起きた第3次ソロモン海戦(米軍呼称ガダルカナル海戦)です。
ガダルカナル島の米軍飛行場を砲撃しようとする日本艦隊と、迎撃する米軍艦隊の間で起きたこの海戦で「アトランタ」級は「アトランタ」と2番艦の「ジュノー」が出撃しました。

防空艦である「アトランタ」級が艦隊同士の海戦で戦う。主砲が対艦でも使える両用砲であるし、魚雷発射管8門もあり対水上戦も戦えるからです。
しかし、「アトランタ」は海戦が始まってすぐに戦艦「比叡」の砲撃を受けてしまう。
この砲撃で乗っていた次席指揮官のスコット少将が戦死してしまう。

「アトランタ」の受難は続く、今度は友軍である重巡洋艦「サンフランシスコ」からの誤射を受けてしまう。誤射と日本艦艇からのを含めて30発の砲撃が命中した上に日本軍駆逐艦からの魚雷が2本命中する。
大きく損傷し、浸水していた「アトランタ」は海戦後に自沈する。
「ジュノー」は海戦で魚雷1本が命中して損傷した事から戦場から離脱していた。海戦後に他の艦と合流して航行中に日本軍の伊26潜水艦の魚雷が命中して「ジュノー」は沈没する。
この時に「ジュノー」の乗組員だった5人兄弟のサリヴァン兄弟全員が戦死する悲劇も起きてしまう。
6番艦「リノ」も激戦を戦った。

1944年(昭和19年)10月、台湾沖航空戦では日本軍機が衝突したものの任務を続行します。
続くレイテ沖海戦では日本軍の空襲で大破した小型空母「プリンストン」の消火に協力したものの、「プリンストン」の傾斜が激しくなり駆逐艦「アーウィン」と共に「プリンストン」を魚雷で沈めた。
11月には潜水艦伊41からの魚雷が命中して大破、修理の為に米本国へ撤収した。
防空艦として十分な能力を示しつつ、対艦戦闘も戦い太平洋戦争の激しさをその身に受けた巡洋艦でもありました。

参考資料
・ビッグマンスペシャル「世界の巡洋艦」世界文化社
・「提督の決断Ⅱ艦船FILE」KOEI
・MELITARYCLASSICS VOL.44 特集第三次ソロモン海戦
・歴史群像2019年12月号 「激突!第三次ソロモン海戦前編」文:大塚好古
・Wikipedia「ジュノー」・「リノ」の項目

featured image:Naval History & Heritage Command, Public domain, via Wikimedia Commons

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