太平洋戦争終結時、日本は連合国軍に分割統治される予定でした。
しかし実際にはそうにはなりませんでした。
分割統治されずに済んだのか・・・それには原爆投下が密接に関わっています。
なぜなのか考察していきます。
日本分割統治案とは
ソ連:北海道・東北
米国:関東・中部・関西・沖縄
中華民国:四国
英国:中国・九州
米英ソ中:東京
これは実在した戦後日本の占領統治案です。
独国では同様の占領方法が実施され、結果米ソの冷戦下東西に分割されたまま、独国国民は分断の苦しみを味わうことになりました。
原爆開発成功
独国降伏後、対日戦の早期終結のために米英は、ソ連に対日参戦を強く要請していました。
その見返りとしてソ連は、ヤルタ会談(2月)で南樺太と千島列島の領有の密約を取り付けています。
米英は共産国のソ連には将来的脅威を持っていましたが、目前の問題である対日戦終結を優先したのです。
しかしその後対日降伏勧告を話し合うため開かれたポツダム会談(7月)の最中に、米国は原爆実験に成功します。
これにより米英はソ連の対日参戦なしで戦争終結の目途が立ちました。
そして広島・長崎への原爆投下(8月)。
ソ連は急遽対日宣戦布告し(8月)、日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えます。
分割統治案と原爆
それまでにすでに立案されていた前述の分割統治案は、もし原爆が完成せず使用されていなかったら、日本の降伏はもっと後にずれ込んでいた可能性があります。
そうなるとソ連の日本侵攻は北海道まで及んでいた可能性が高く、従ってかなり高い確率で実施されていたと考えられます。
事実、占領が北方4島までで止まっていたソ連は、終戦直後に北海道の北半分の占領を米国に要求していました。
唯一の原爆保有国となった米国は、その武力的優勢を背景にこれを拒否します。
そしてソ連も、極東での領土的野心よりも原爆開発を優先して、それに必要なウラン資源獲得のために、それを産出するブルガリア・ルーマニアでの優越的地位の独占を米英に認めさせ、代わりに北海道占領を諦めたのです。
分割統治が実施されていたら
もし米国の原爆開発が失敗または遅れていたら・・・
さらに人道的見地からその使用を米国がためらっていたら・・・
かつての独国や現在の朝鮮半島の分断が、日本でも現出していても決して不思議ではなかったのです。
もちろん原爆の悲惨な被害は絶対に許容できるものではありません。
しかし母国が日本国と日本民主主義人民共和国に引き裂かれることと、原爆被爆の二者択一を迫られた時、私たちはどちらを選べばよいのでしょうか。
歴史には振り返ると背筋が凍るような事実があります。
参考:
アゴラ 戦後日本の分割占領計画 山口俊一
デイリー新潮 終戦後日本が分割占領されなかった理由
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!
コメント一覧 (1件)
日本分割の方が良いね…。糞垂れったこっちよりもな!!!