リドリー・スコット監督の映画「ブラック・ホークダウン」
この映画で描かれた1993年のソマリアで起きた米軍特殊部隊と現地の武装勢力との戦いは何故起きたのか?
その後はどうなったのか?を紹介します。
ソマリア内戦への国連介入
1960年、アフリカ東部にあるソマリアはイギリスとイタリアから独立します。
しかし、独立後もクーデターや隣国エチオピアとの紛争が起きてソマリアは国内外で動乱が続く状態でした。
1988年から反体制派による闘争が激化し、ソマリアは内戦状態になります。
内戦は北部をソマリランドで独立させた勢力、ソマリア南部にあるソマリアの首都モガディシオでは異なる勢力同士が争い、内戦による混乱状態が90年代に入ってより深刻化します。
1991年になるとソマリア内戦の長期化と多くの難民が発生する事態に、国際社会はソマリアに介入します。
ソマリアへの武器禁輸と内戦の戦闘停止を求める国連安保理決議が採択されました。
1992年1月に決議が採択され、3月にはソマリアの各勢力の多くは停戦に合意したものの、モハメッド・ファッラ・アイディード将軍は停戦に合意しませんでした。
国連は次の段階として、ソマリアへの人道支援と停戦監視を始めますが、治安の悪化が人道支援を阻みます。
12月に国連はアメリカ軍を主体とする多国籍の統合部隊(UNITAF)が編成され、ソマリアに展開します。
UNITAFによって守られる事でようやく、国連はソマリアで活動ができるようになりました。国連はUNITFやソマリアの国連機関の権限を拡大し、ソマリアの平和構築を目指します。
アメリカ軍VSアイディード
停戦を求める国連決議に同意しないアイディード
アイディード派は国連部隊のパキスタン軍やアメリカ軍の将兵を襲撃し死傷者を出した。
これに国連安保理はアイディードの逮捕を決議
アメリカ軍は特殊部隊でアイディード派の幹部を拘束したり、施設を空爆します。
アイディードと国連部隊は交戦している状態になっていました。
この険悪な状況でアイディード派幹部の集会を狙い拘束する作戦が実行されますが、MH-60ブラックホーク2機が撃墜され多くの死傷者が出るモガディシュの戦いに繋がったのです。
平和は構築できず
ブラックホークダウンの事件の後でアメリカ軍は増援部隊を送ります。
機甲部隊や1個旅団だけだった山岳師団の増援に、海兵隊などがソマリアに派遣された。
しかし死傷者の多さから1994年3月末にアメリカ軍がソマリアから撤退、治安悪化に対抗しきれず1年後には国連もソマリアから手を引く事となります。
一方でアイディードはソマリア大統領を自称するようになりますが、他の勢力との戦いで1996年に死亡する。
2012年にようやく、ソマリア連邦共和国として統一した政府が発足している。
※画像はイメージです。
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