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北アフリカの決戦エル・アラメインの戦い(後編)

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第1次エル・アラメインの戦いでエジプトでの進撃が止まった枢軸軍
新たな司令官にモントゴメリーが着任したイギリス軍
北アフリカ戦線は戦局が大きく動こうとしていました。

目次

弱る枢軸軍

ロンメルのアフリカ軍団をはじめ、枢軸軍の補給状況は悪化していた。
地中海の制海権と制空権をイタリア軍など枢軸軍にが握っておらず、マルタ島から出撃するイギリス軍の航空機や潜水艦が輸送船を攻撃していたからです。

イギリス軍の攻撃で物資や兵員の輸送が少なからず地中海に沈んでしまっていた。
ドイツ空軍はシチリア島からマルタ島を攻撃していましたが、独ソ戦のロシアや北アフリカへ戦力を引き抜かれてしまい、マルタ島への攻撃が弱まったせいでもありました。

届いた物資はイギリス軍の攻撃を警戒して、前線から遠いトリポリ(リビア北西部)に陸揚げされた。
前線に近いリビア北東部のトブルクを占領していたとはいえ補給拠点にできず、ロンメルのアフリカ軍団がエジプトへ近づくにつれて、補給線は長くなるばかりだったのです。
なかなか届かなくなる補給と補充に北アフリカの枢軸軍は弱っていました。

枢軸軍、守勢へ

第1次エル・アラメインの戦い以後もロンメルは攻勢に出ます。
7月上旬のルウェイサトの戦い、8月のアラム・ハルファの戦いのどちらもイギリス軍が勝利します。この勝利はイギリス軍将兵に勝つ自信を持ち、士気が向上しました。
対してロンメルは補給の不足による戦力低下を自覚し、攻めから守りに態勢を変えます。

地雷や航空爆弾を混ぜた「悪魔の園」と呼ばれる大規模な地雷原を作りました。イギリス軍が襲来すれば悪魔の園で足を止めさせ、駆けつけた戦車部隊が叩くと言う作戦を立てました。
ロンメルはこうした準備をしてから療養の為に前線を離れた。

第2次エル・アラメインの戦い

1942年10月23日、モントゴメリーの大攻勢がエル・アラメインで始まった。
モントゴメリーが周到な準備をした事で、この時の両軍はイギリス軍が1000両の戦車・2300門の火砲・19万の将兵、枢軸軍は489両の戦車・1200門の火砲・10万の将兵と大差をつけての攻撃ができました。

それでも悪魔の園がイギリス軍の大軍を止め、イタリア兵の勇戦もあって大攻勢は順調には進みません。
とはいえモントゴメリーは作戦を変えず攻勢を続け、枢軸軍を疲弊させようとします。

ロンメルは10月25日に前線に戻りますが、物資が無い枢軸軍は翌26日に前線を突破されます。
11月1日にモントゴメリーは戦車部隊を押し出す攻勢に出ます。

枢軸軍は敵に大きな痛手を与えるものの、このままでは援軍も補給も無く壊滅するとロンメルは分かっていた。
ヒトラーからの死守命令はあったものの、ロンメルは退却を決断し5日までには枢軸軍はエル・アラメインから去ります。
この直後に起こるアメリカ軍の北アフリカ戦線の参戦もあって、枢軸軍は北アフリカで優位に立つ事は無くなりました。

featured image:Fox (Sgt), No 1 Army Film & Photographic Unit, Public domain, via Wikimedia Commons

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