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砂漠の突破戦!ガザラの戦い

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第二次世界大戦の北アフリカ戦線
ロンメルのドイツ軍アフリカ装甲軍はリビアの砂漠でイギリス軍に包囲されてしまう危機に陥ってしまいます。
大釜の戦いとも呼ばれる戦いを紹介します。

目次

トブルクを巡る戦い

北アフリカ戦線で最も焦点となった要所があります。
それがトブルクです。

北アフリカを東へ進撃するドイツ軍とイタリア軍の枢軸軍にとってリビアに補給の拠点が必要でした。
リビアのトブルクが港湾設備があり枢軸軍にとってはイタリアから補給を得るには良い拠点として選ばれたのです。

イギリス軍もその重要性を分かっていて1941年4月から枢軸軍に包囲されていたトブルクを救援すべく11月には包囲を破ります。

Keating G (Capt), No 1 Army Film & Photographic Unit [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

アフリカ装甲軍包囲される

イギリス軍はトブルクより西のガザラから南へ延びる防衛線を作ります。
それがガザラ・ラインです。

アフリカ装甲軍の司令官であるエルヴィン・ロンメル大将はこのガザラ・ラインを南から大きく迂回してガザラ・ラインを背後から突く作戦を1942年5月26日から開始します。

まずはガザラ・ラインの迂回を悟らせないようにガザラ・ラインへイタリア軍が攻撃をしかける陽動が行われます。
5月27日にロンメルが直に率いるアフリカ装甲軍がガザラ・ラインを迂回すべく前進を開始します。

しかしロンメルの進軍はすぐに困難に直面します。

イタリア軍がイギリス軍から攻撃をうけて前進を阻まれドイツ軍第15装甲師団もM3中戦車を装備するイギリス第4機甲旅団との交戦で多くの損害を出してしまっていた。

ここから三日間もアフリカ装甲軍はイギリス軍と砂漠の戦車戦を強いられイギリス軍に囲まれる状況に陥ります。

United States Military Academy’s Department of History [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

包囲突破

囲まれたアフリカ装甲軍は大釜と自ら呼ぶ陣地でイギリス軍による戦車を繰り出す攻撃を何度も撃退していました。

しかし砂漠でいつ力尽きるかの危機に立たされていました。
ロンメルは攻撃に耐えるのでは無く、打って出ます。

大釜陣地の背後を塞ぐイギリス第150旅団を攻撃して壊滅させ、ガザラ・ラインの南側にあるビル・ハケイムの陣地を攻撃します。
ビル・ハケイムはアフリカ装甲軍の補給線を脅かす障害だったからです。

十日間の激戦でビル・ハケイムを攻略、こうしてアフリカ装甲軍は危機から脱します。

ドイツ軍の戦車は330両から124両に減っていたものの攻勢に出て300両の戦車を持つイギリス軍を圧倒します。
更に120両の戦車を失いガザラ・ラインも破られたイギリス軍は撤退、6月20日にトブルクは陥落します。

不明Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

勝敗を分けたのは?

このガザラの戦いで勝敗を分けたのは何か?

強固な防衛線を作りドイツ戦車よりも強力なM3中戦車を200両を含む800両の戦車を用意していたイギリス軍が負けたのは何故か?

それはアフリカ装甲軍への追い込みが足りなかったのです。第150旅団が健在な間に大釜陣地ごとアフリカ装甲軍を壊滅させる好機を生かせなかったのです。

対してドイツ軍は危機からの打開の為に打って出て状況を好転させました。
好機を生かすか好機を掴むかが勝敗を分けたと言えます。

※画像はイメージです。

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