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ドイツ敗北への道となったスターリングラード攻防戦

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第二次世界大戦のドイツとソ連の戦争において、スターリングラードの戦いはドイツが劣勢になる流れを作った戦いとなりました。

目次

作戦名青

1942年6月、ドイツ軍はヒトラー総統の命令により「青作戦」を実行します。ソ連と開戦して2年目に開始される大攻勢の目的は、ソ連南部のコーカサス地方と工業都市スターリングラードを占領する事です。

油田のあるコーカサス地方と、ソ連の指導者スターリンの名前が付けられた都市の占領と言う2つの目標がドイツ軍に与えられました。青作戦の指揮は南方軍集団のボック元帥が執り、スターリングラードの攻略はフリードリヒ・パウルス大将の第6軍によって行われる。

市街戦突入

ドイツ軍第6軍は第4装甲軍と共にソ連軍第62軍を退け、スターリングラードへ進軍します。
8月23日からドイツ軍はスターリングラードへの攻撃を開始
ソ連軍部隊をスターリングラードの市街へ押し込み、市街の中央を流れるヴォルガ河西岸でドイツ軍はソ連軍を包囲する事となった。スターリンは自分の名前がある街を何としでも守るつもりであった。

第62軍はヴォルガ河西岸に追い込まれながらも、東岸から送られる増援と市街の工場などに立て籠もりドイツ軍に立ち向かっていた。スターリングラード市街はドイツ軍の空襲によって破壊され、瓦礫がソ連兵の隠れる盾にもなった。
こうしてスターリングラードは泥沼の市街戦になる。

歩兵同士が部屋の1つを巡る至近距離の戦いを繰り広げ、狙撃兵が狙い撃つ。
困難な戦いであったが、ドイツ軍は第62軍を追い込みヴォルガ河西岸を制圧できるまであと一歩となっていた。
だが、時間がかかり過ぎていた。

ソ連軍の反攻

1942年11月19日にソ連軍は天王星作戦と称する反撃作戦を開始する。
スターリングラードより北西のドン河南岸に展開していたルーマニア軍がソ連軍南西方面軍の攻勢を受けて撃退された。
この天王星作戦はスターリングラードを攻めるドイツ軍の背後を突く事を目的としていた。

翌日にはスターリングラードの南からもソ連軍は反撃をはじめ、11月23日には第6軍はソ連軍に包囲される。
ドイツ軍はマインシュタイン元帥のドン集団でスターリングラードの救援を行う。この作戦にはスターリングラードから退却した第4装甲軍も加わる。

パウルス降伏

ドン軍集団は包囲するソ連軍まで55kmまで迫る事が出来た、しかし先へは進めない。
マインシュタインは第6軍が自力でスターリングラードから脱出してドン軍集団と合流する事を望んだ。しかし、それはスターリングラードを諦める事を意味した。

ヒトラーはそれを認めず、第6軍司令官のパウルス大将も燃料不足で動けないと脱出を拒んだ。
こうして第6軍の運命は決まる。1943年1月20日にスターリングラードでドイツ軍が持つ飛行場が失われ、空輸による補給は受け取れなくなった。

1月31日、パウルスはソ連軍に降伏し戦いは終わる。
ドイツ軍将兵9万1000人がこの時にソ連軍の捕虜となったが、戦後に帰国できたのは5000人ほどだったとされる。

featured image:Propaganda-Kompanie Geller, Public domain, via Wikimedia Commons

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