この話は私が小学校高学年の頃、お祖父ちゃんに聞いた話です。
何戦争かは覚えていませんが、お祖父ちゃんは明治生まれの人で自らの志願により戦地に行ったようです。
お祖父ちゃんは学歴があまりなく、それ程高い地位には居なかったようですが、自ら志願し戦地に向かったと言っていました。当時は弾丸も足りず実家近くのお寺から除夜の鐘の鐘を持って行き、溶かして作ったと言っていました。
話のきっかけは
実家は愛知県ですが、この話を聞くきっかけが窓に残ったヒビです。何でヒビの入った窓なのかたずねると、飛行機から銃撃で受けた傷なんだよと教えてくれました。
戦地では、先頭をきるような人だったようで、途中昇進したとかで勲章が残っていました。
馬を操るのも上手かったそうで、戦争が終わると馬車で残った鐘を持ち帰ってきたと聞きました。
お祖父ちゃんの息子、私の父によれば、お祖父ちゃんは体格も小柄で戦地ではバカにされたりしていた事が悔しかったらしく、見返すつもりで志願したのだとか。仲間も大勢が犠牲になるなか、お祖父ちゃん率いる小隊と言うのでしょうか、怪我は有ったものの無事生還したんだと聞きました。
お祖母ちゃんの想い
お祖母ちゃんは、負けず嫌いな夫なので帰ってくるのを祈りながらも、諦めていたと父が言っていました。
3人の子を連れ、実家の岐阜で過ごしていたようですが、空襲がある度、子供を抱え防空壕に入っていたそうです。食べるものも芋がメインだったとか、近くの小川でタニシを捕っていたとも聞きました。
帰ってこないかも知れないとお祖母ちゃんは働く所を探し、実家に子供達を頼み働いていたそうです。
しかし、お祖父ちゃんは生還し部落では有名な人になってしまったようで、未だに名残があって、プレッシャーを感じたそうです。
そして最近
日本刀、勲章、信号機?なのか残っていましたが、家を新築の際に父が日本刀は警察へ、勲章と信号機?はしまい込んでしまって、星のような形の勲章だった事と信号はろうそく入れて赤・青・白と回転させる物だったと記憶しています。
持ってこられる物は、持って帰って来たんだな~って思うと、当時の暮らしがいかに貧しく、大変だったのか想像した記憶があります。
時間のある時に父に勲章ぐらい残ってないか確認してみようかと、ここで書いていて思いました。
※画像はイメージです。
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