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陸上攻撃機の戦いマレー沖海戦

1941年(昭和16年)12月10日
日本海軍はマレー沖で航行中のイギリス軍戦艦2隻を撃沈します。
この戦果を挙げたのは日本海軍の陸上攻撃機と呼ばれる攻撃機です。日本海軍の陸上攻撃機とはどんな機体で、マレー沖海戦で活躍できたのでしょうか?

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航空機を戦力にする日本海軍

1930年(昭和5年)に結ばれたロンドン海軍軍縮条約で戦艦のような主力艦艇のみならず、巡洋艦や駆逐艦など幅広い艦種の保有が制限されました。
日本海軍はアメリカ海軍と戦う事を想定していた事から、艦艇の数が制限される事はアメリカ海軍との戦力差が大きくなると不安が大きくなる。そこで日本海軍は新たな兵器に着目します。それは航空機です。

第一次世界大戦で航空機が兵器としての価値が認められましたが、まだ軍艦との戦いにも使える兵器なのかは未知数でした。
しかし、艦艇の保有数が制限された日本海軍は航空機に新たな活路を求めたのです。

陸上攻撃機の開発

日本海軍は空母に搭載する艦上機と共に、陸上の基地から出撃する長距離を飛行する攻撃機、陸上攻撃機の開発に乗り出します。本格的な陸上攻撃機の開発は九五式陸上攻撃機となる七試と称する試作機が民間企業と海軍工廠で開発されたものの、満足な性能とはいえいえず少数の生産に留まりました。
1936年(昭和11年)に三菱が偵察機として開発した八試特偵を陸上攻撃機として作った九六式陸上攻撃機が採用された。

最高速度348km/hで航続距離4581km、最大で800kgの爆弾または魚雷を搭載と言う当時としては高性能の双発機の攻撃機となりました。この九六式陸攻は日中戦争で中国大陸の都市への爆撃に出撃すると、中国軍戦闘機による迎撃で損害が増えて行きます。
それが零戦開発に繋がりますが、これは別の話になります。

マレー沖海戦での真価

1941年(昭和16年)に航続距離が6000kmの一式陸上攻撃機が採用されます。
日本海軍はこうした足の長い陸上攻撃機で広い太平洋を航行する敵艦隊を先制攻撃して、艦隊同士の戦いの補佐的な役目を与えられていました。

アメリカ軍に陸上攻撃機のような機体は無く、日本海軍にとっては優位に立つ兵器と言えました。
この陸上攻撃機が敵艦隊攻撃に役立つか真価を問われる戦いが太平洋戦争海戦直後に起きます。イギリス軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェ―ルズ」と「レパルス」からなる艦隊をインドシナ南部の基地から出撃した数十機の陸上攻撃機が爆撃と雷撃で撃沈した。

広い海域を探してイギリス艦隊の戦艦2隻を撃沈する戦果は長距離を飛べる陸上攻撃機だからこそ出来た勝利でした。
しかし機体の脆弱さの問題は残ったままで、ガダルカナル攻防戦の頃から損失が多くなります。これは中型機で長距離飛行を求めた結果、軽量化と燃料タンクは大きくしたものの防弾をあまり施せなかったのです。

そこへ激しい対空砲火を打上げる米艦隊へ突入するには厳しいものになりました。
構想は良かったものの、陸上攻撃機に施された技術が太平洋戦争の激化に合わなくなったのです。

featured image:Naval History & Heritage Command, Public domain, via Wikimedia Commons

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