第二次世界大戦後1950年代から英仏などが持つ植民地では独立運動が激化します。
フランスもインドシナでの独立運動に対する第一次インドシナ戦争に突入します。
外人部隊も投入され戦争の行方を左右するディエンビエンフーで戦う事になるのです。
インドシナ戦争
フランスは現在のベトナムに当たるインドシナを1887年から植民地にしていた。
20世紀に入ると独立運動が始まり第二次世界大戦では日本軍に占領されてしまいます。
大戦後、すぐにフランスは部隊をインドシナに送ります。
ホー・チミンを指導者とするインドシナ独立を目指すベトミンとフランス側で独立に向けた協議が行われたものの、あくまでフランスの一員としての独立をさせたいフランスの意図もあって決裂し第一次インドシナ戦争が勃発した。
協議の時から外人部隊はインドシナに展開し、派兵されるフランス軍が10万人や20万人の規模に増強されると共に外人部隊も1万人から3万人に増強された。
このインドシナの外人部隊は6割がドイツ人であったとされる。
ドイツ人達は第二次世界大戦を戦ったドイツ軍の元軍人に祖国で職が無い20歳前後の戦闘経験が無い若者が外人部隊に入隊していた。
(元SSのドイツ人が外人部隊に居たとされるがフランス当局は元SSの入隊を認めていない)
また外人部隊にはベトナム人兵士も加わりました。
ディエンビエンフーの戦い
1953年11月にインドシナ北部のディエンビエンフーに第1外人パラシュート大隊が降下し同地を確保した。
フランス軍はディエンビエンフーを確保する事でベトミン軍の補給線を断ちラオスとの国境を支配させないようにしようとした。
その目標を果たす為にディエンビエンフーには飛行場を囲む複数の陣地からなる拠点ができる。
その拠点に配置されたのは外人部隊にアルジェリア人とベトナム人の兵士の10個大隊1万人だった。
ほぼフランス人以外で守りを固めたディエンビエンフーに1954年3月からベトミン軍は5万人と200門の火砲で攻める。
平地に陣取るフランス軍は山地から砲撃を加え人街戦術で攻めるベトミン軍に圧倒された。
それでも外人部隊は奪われた陣地を取り返そうと何度も反撃を行い激しく戦う。
第3外人歩兵連隊と第5外人歩兵連隊から選抜された兵士達が援軍として空挺降下して来たが劣勢は変わらない。
5月7日に最後の残ったイザベル陣地に追い込まれたフランス軍は降伏した。
このディエンビエンフーの敗戦はフランスにインドシナからの撤退を決心させ第一次インドシナ戦争が終結に向かう事になる。
インドシナの外人部隊は第一次インドシナ戦争の帰趨を決める戦いに身を投じた事になり1500人の戦死者と4000人の負傷者を出した。
eyecatch credit: Vietnam People’s Army, First publish in 1954. / Public domain
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