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戦艦「ビスマルク」出撃~ライン演習作戦~

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1941年5月、ドイツ軍の戦艦「ビスマルク」が「ライン演習作戦」と名付けられた通商破壊作戦に出撃します。
本来ならば敵の戦艦と制海権を巡る戦いをする戦艦が何故、輸送船を狙うようになったのでしょうか?

目次

主力艦艇の通商破壊作戦

戦艦「ビスマルク」は第二次世界大戦におけるドイツ海軍で最大の戦艦です。
本来であるなら38センチ主砲は敵であるイギリスの戦艦に向けられるのですが、ドイツ海軍は「ビスマルク」にイギリスの輸送船を攻撃させ、通商破壊作戦に加えようとしたのです。
これはドイツ海軍がイギリス海軍に対して劣勢だったからです。
1941年春のドイツ海軍で戦艦は「ビスマルク」と2月に竣工して訓練中の「ティルピッツ」に「シャルンホスルト」と「グナイゼナウ」の四隻しかない。

これでは旧式も含めて20隻も戦艦があるイギリス海軍と戦うのは厳しい。
ドイツ海軍はイギリス艦隊に挑むのではなく、Uボートと同じく戦艦や巡洋艦の主力艦艇も通商破壊に投入する事にしたのです。
イギリスの海軍戦力を海戦で打撃を与えるのではなく、輸送船を襲いイギリスの国力に打撃を与える戦略がUボート以外でも徹底していたと言えます。

出撃する戦艦と巡洋艦

1940年10月ポケット戦艦改め重巡洋艦「アドミラル・シェーア」が、11月末に重巡洋艦「アドミラル・ヒッパー」がそれぞれ大西洋に出撃し、通商破壊作戦を開始
「シェーア」は輸送船6隻を撃沈、「ヒッパー」は戦果なしで帰投した。

1941年2月には戦艦「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」が出撃して13隻を撃沈し、3隻を拿捕する戦果を挙げた。
一連の主力艦艇の通商破壊作戦で1940年10月から1941年3月までの期間で48隻27万トンの戦果を挙げた。

戦艦と巡洋艦による通商破壊作戦の実態

数で見る戦果では成功に見えるものの、ドイツ艦隊にとっては苦い戦いになっていた。
「シェーア」は船団護衛の仮装巡洋艦との戦闘によって船団の大部分を逃がし、「ヒッパー」は船団を護衛する複数の巡洋艦に阻まれて輸送船に手が出せなかった。
これは1隻だけの行動であった事が裏目に出てしまったのである。
だが、戦艦である「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」は船団護衛に付いていたイギリス戦艦「ラミリーズ」を船団から引き離せず、船団への攻撃を断念する時があった。

ドイツ海軍は水上艦艇による通商破壊作戦で同等以上の敵艦との戦闘を避けるように命じていました。
これは少ない主力艦艇を失わない為に出した命令でしたが、命令を受けた戦艦と巡洋艦を率いる司令官や艦長は積極的な敵艦との戦闘を避けなければなりませんでした。
そうした消極性から一転したのが戦艦「ビスマルク」の実戦配備でした。

参考文献:
「第二次世界大戦欧州海戦ガイド1939年~1945年」青木茂著 新紀元社
「MILITARY CLASSICS VOL.33 巻頭特集ビスマルク級戦艦」イカロス出版
「歴史群像2020年10月号No.163」「戦艦『ビスマルク』最後の大砲撃戦」文:大塚好古 ONEPUBLISHING

eyecatch source:Bundesarchiv, Bild 193-04-1-26 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons

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