庭に爆弾が落ちてきた!

未だ健在の祖母から聞いたエピソードです。
女学生だった祖母ですが運良く学徒動員には呼ばれず、疎開の対象外となった弟2人の面倒を見ていたそうです。

空襲があった日の記憶

戦時中、空襲警報が発令させれ、空を見上げると続々と飛行機が通過していきます。
渋谷方面への飛行機が飛んで行ったかと思うと、そちらのほうの空が明るくなり焼夷弾の投下があったのだと分かります。

今度は北のほうへ飛行機が飛んで行き、またその方面の空が明るくなる。
飛行機の飛んで行ったほうは常に空が明るくなり、空襲が行われます。

いつ自分たちが空襲されてしまうかと心配になります。

世田谷区への空襲

太平洋戦争当時、祖母は世田谷に住んでおりました。今は住宅街になり一戸建てが立ち並んでいますが、当時そのあたりはほとんどが畑でした。

祖母の家も庭先に畑を持っており、空襲のあった日畑までは出ず、庭先で弟達と空を見上げているとなんだかこちらに向かってくる飛行機がいました。
これはこのあたりもさすがに危ないのではと思い、弟2人を引っ掴んであわてて避難をしました。

防空壕代わりの半地下のような部屋に隠れ、窓の隙間から様子を見ていたところ、飛行機の轟音の後に近所へ爆弾の投下があったようで悲鳴などの声が聞こえてきました。怖いけれども様子も見なければと思い、弟2人を残して再び庭先へと戻ったところ落下地点あたりには火柱が立ち上っていました。

畑に不発弾が

火柱によって明るくなった空を見上げ、もう飛行機の姿がなくなったことを確認していたところ家族が大慌てで畑へと走っていき、着いていったところで、なんと畑に不発弾が半分ほど埋まった状態になっていました。
幸運だったことに、落ちてきた畑には何も植えておらずフカフカの腐葉土のみがある状態だったので爆発しなかったようです。

フカフカの腐葉土とはいえ、もしなにか硬いものに当たっていたらその拍子に破裂していた可能性はあり、もしもこの爆弾が破裂していたら、家族全員どうなっていたかはわかりません。恐らく死んでしまっていたかもしれません。

その後

祖母によりますとその後の不発弾については大人たちに任せたため、どのような処理をしたのかは不明とのことでした。

祖母の父は戦後のどさくさに紛れ、家と畑の敷地を大きめに申告したそうです。
今は祖母と弟2人がその土地を3分割して相続しそれぞれマンションを建てて住んでおり、祖母の家族の命を救った腐葉土の畑は跡形もありません。


てらおち
甘党ではなく辛党

※写真はイメージです。

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