この話は私が10歳のころ、昭和1桁世代生まれの祖母から聞いた話です。
戦時中、祖母は今で言う中学生に相当する学生でした。
豆の皮を頼りに
祖母も私も福島県会津地方の在住です。この地域は戦争の空襲による直接的被害は受けておらず、どちらかというと、疎開先に選ばれるような割と安全なエリアでした。
それでも戦時中のため、自分たちもいつでも兵隊として戦争に行けるよう、訓練を受けていました。
その一幕の話を祖母がしてくれました。戦争に行けば、沖縄戦のように市民をも巻き込んだゲリラ戦になることも想定されますし、東南アジアにあるような深い密林の中を歩いたりすることも想定されます。このような状況下では、誰かの足跡が帰還のために必要な情報となることも考えら、祖母が受けた訓練は、ある野菜を足跡とする内容でした。
その野菜とは、枝豆の皮です。食べて中身が空っぽとなった枝豆の皮を、等間隔で地面に置きながら歩くのです。そして、その皮は決して置きっぱなしにするのではなく、ルートを戻ってくるときに自ら回収するところまで、訓練として行なっていたそうです。
これは比較的野菜が充足されていた田舎ならではの訓練で、枝豆を用いたのはあくまで一例であり、要は現地にある野菜などもフル活用して、たとえ皮であっても無駄にすることなく、せめて足跡としてでも最低限活かすことをしてほしい、そんな意味合いが込められた訓練であったようです。
単なる皮の足跡だけど、奥が深いでは済まされない
祖母の話は当時小学4年生くらいであったため、意図まで理解することができませんでした。
大人になって改めて振り返ると、改めて衝撃な事ばかりです。
女子中学生であれば、空襲のあった地域でも軍需工場で働かされた程度はありますが、田舎の女子中学生が、まるで戦場での戦闘を想定した訓練を受けていたこと。
皮を落として足跡にすること自体は、そういった童話もありますし、戦争を想像することは相当に困難ではあります。しかし、これを戦争の訓練の一環として行っていたとなれば、当時の陸軍は田舎の女子中学生までも戦闘員として利用することを考えていたのでしょうか。
最後に
いずれにしましても、当時の軍部が考えていたことは、想像を絶するものだったのでしょう。
祖母が戦争の具体的な話を私にしてくれたのは、後にもこの話くらいであり、亡くなってしまった今となっては聞くことはもう叶いません。これ以上話さなかったということは、それだけ当時の祖母にとって衝撃的なことであったからでしょう。
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