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ウチの祖父母は大正生まれの女尊男卑な関係でした

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私は幼児期に母が亡くなり、祖父母に育ててもらいました。
その為、寝物語として祖父母の戦争体験やその頃の暮らしぶりをよく聞かされました。

私の祖父母は祖母の方が強く、祖父は喧嘩するといつも小さくなっていました。
生きてれば100歳越えの年代なんですから、男尊女卑が当たり前だった時代だと思いますが・・・ウチは女尊男卑だったんですよね。
そんな二人の関係は、戦争時代からもそうだったんだな~と想像出来る話を教えてもらいました。

目次

私の祖母

私の祖母はかなりやり手だったようで、戦時中は農家までこっそり出掛けて闇米を仕入れ、それを販売して稼いでいたそうです。

他にも布等を仕入れて販売したりもしていたのですが、衣服を仕入れたらそれが盗品だったらしく、全部警察に持っていかれたとも話していました。
現在なら盗品と知らずに買い取ったなら、善意の第三者~ということで・・・買い取った盗品をタダで持っていかれることはないとは思うんですけどね。
当時は有無を言わさずに持っていかれたそうです。

ある日のこと

こんな感じで祖母主導で商いをしていたそうなんですが、ある日祖父に買い物を頼んだそうです。
祖父母が住んでいたのは関西地方の和歌山県なんですが、大阪まで買い物に行って欲しいと。

購入して欲しいのは布関係だったようで、祖父は大阪の「ドブ板」という所へ買いに行ってくれと祖母からオツカイを頼まれました。
こうして朝から祖父は出掛け、夜には帰ってきましたが、祖父は何も持っていません。

何も持っていない祖父を見て、祖母は祖父を責め立てたそうです。
何も持ってないのは何故?
買い物してこなかったのか?
今日は何してたの?と。

祖父の話によると

祖父の話によると、一応大阪まで行ったけど、ドブ板の場所がわからなかったと言い訳をしたそうです。
それを聞いて祖母は大激怒。
せっかく大阪まで行くお金を渡し、さらに一日中何もせずに帰ってきたなんて!と。

祖父は祖父で言い訳をします。
そんな事言ってもドブ板という名前だけしか聞いてないし、場所なんかわからんと。
そして祖母は、そんなもんわからんなら人に聞け!お前の口は食べるだけの為にあるんか!?とさらに怒り、そして呆れ返ったそうです。

戦時中の混乱期にこの頼りなさ。
祖母は実質一人で祖父母両名の生活費を稼いだんだ、当時は本当に大変だったと寝物語としてよく語ってました。

最後に

現在70歳オーバーの団塊世代でも男尊女卑の傾向が残ってますし、その親世代に当たる祖父母ならその傾向はさらに強いはず。
でも祖父母はこういう関係だったので、女性の方が強い夫婦関係だったそうです。

※画像はイメージです。

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