宝くじをいつ買うのが良いか、といえば、様々な縁起の良い日が浮かぶだろう。
中でも、一粒万倍日は、一粒の米が万倍に育つという意味から、少ない投資で多額のリターンを期待出来る日に思える。
これは、オカルト視点からはどうなるだろうか。
買ってはいけない
結論から言えば、一粒万倍日に宝くじを買ってはいけない。
勿論、確率的にはいつ買っても問題ないし、何なら買わないで貯めた方がトータルで勝てるが、一応今回はその話は置いておく。
何故、一粒万倍日が適さないのか。
一粒万倍日は、米を植えるのに適した日であるといいうのは前述した通りである。米は、神に捧げられる神聖な作物であり、神道であれば畑から季節、天候まで八百万の神が宿る。
神がお供えを欲しいのは、それが欲しいからではない。
神が単に米を欲しいのであれば、自らの力で増やせば良い。宝を増やすのは神の有り触れたパワーの1つである。
それを敢えて人間に捧げさせるのは、それに伴う信仰心が欲しいからだ。与えれば一時期は感謝するが継続的な信仰にはならない。人が豚に餌を与えるのは後で喰うからであり、信仰を得るためではない。
神は信仰が無くても存在出来るが、信仰へのリターンが主観的であれ得られているなら、その神は信仰を好むと考えられる。
古来、不足するのはカロリーであった。米は、それを充足させ、更に不足する時期の為に貯める事が出来た。
食糧は命そのものであり、米を捧げる事はすなわち、身を削った最も深い信仰心の表れである。
神様は信仰をあつめたい
信者を増やし、更に信仰を集める事は、神の大きな関心事の1つであったろう。
農耕に関わる神々は、米の生育に必要な手を貸し、育つのに特に良い日を作った。
常に豊作ではそれを前提とした働きや信仰しかしない。たまに豊作を与える事で、信仰や労働行動が活性化する。スキナー箱実験で得られた心理学知見からも明かである。
こうして出来た、豊作への「正解」の1つが、一粒万倍日である。
この日、神は何を見るだろう。
きちんと米を植えるのか、その事に注視するだろう。
そんな時、働かずに済む一攫千金を狙って宝くじを買う人間がいたら。これはどう考えても昔話でバチが当たる方である。
一粒万倍日は働く事に専念する日であって、賭け事には向かないと考えなければ理屈に合わない。逆に神はいないと思うなら、一粒万倍日を信じる理由がない。
宝くじ好適日
では、いつが一番宝くじを買うのに適した日なのだろうか?
大安だろうか。
否、大安は「成功しない事はない」と言うが、宝くじの成功とは何であろうか。失敗が「外れ」なら、成功は「当たり」である。だが、当たるとは言ったがいくら当たるかは保証されていない。まして「大いに安し」では、最低額しか当たらないだろう。
やはりここは、「残り物には福がある」のロジックに従い、最終日、一番最後に買うのが良いだろう。一番遅くて21時閉店のようだ。尚、売却の成立は、相手の承諾の通知であるから、「レシートのお返しです」と言い終わった瞬間となる。言うのを待たせたとしても、承諾済みと同じであるから、時間稼ぎは出来ない。
次が一番最初。「先んずればすなわち人を制す」とある。日本で最も最初に売り出す場所で買えば良い。「予約販売なら大丈夫」というような腑抜けた了見で勝ち残れる訳がない。一番最初の予約者となるのだ。予約受付開始日を見逃すな!
真っ当な手段に拠らず、オカルトパワーで勝ちを出し抜く事は出来ない。何となれば、宝くじの主催は地方自治体である。自治体は律令制の流れを汲む組織であり、その土地の霊的な禍に対処し続けた歴史がある。役所の位置1つとっても、風水的に最も強い場所を確保している。そんな彼らが集い行う事業に、どれほどの隙があるだろうか。
確実に当てるのが難しいなら、夢だけ買おう、という場合なら、発売日に手近な売り場で買うのが良い。
長い期間夢を見続けられるし、実物を手渡された方が夢の解像度も上がるというものだ。
尚、買うのは3枚が限度にすべきである。ほぼゼロは100倍程度ではほぼゼロのままである。
4枚以上買うなら、ミニ熊手でも買った方が、ずっと夢が見られる事は言うまでもない。
思った事を何でも!ネガティブOK!