「クトゥルフ神話」ないしは「暗黒神話体系」は、オーガスト・ダーレスらがまとめた神話がある。
原典はハワード・フィリップ・ラブクラフトであるが、その「宇宙的恐怖(コズミックホラー)」というモチーフが好まれ、様々な作家により同一の世界観で物語が記されている。
コンピュータゲームにも、しばしばモンスター扱いで偉大な種族が出演する事もある。と、この辺りは、現代なら比較的一般的な知識の範囲であろうと思う。
問題は、これが神話なのか小説なのか、という話である。
神話を定義するもの
「小説に決まっている」
諸兄はそう考えるかも知れない。確かに我々はこの物語を、小説として認識している。
文書作法としても小説の形式で描かれている。
だが、それだけの事だ。
現代世界で、神が新たに現れたと仮定しよう。
それは「私が本当の神である」と預言者に語り、神話を書かせる。
だが、宗教を広めるには信者が必要である。
後発の神は既に広まった神話と対決しなければならない。
十字軍のイメージが強いが、仏教もバラモン教と対立したし、日本でも聖徳太子が物部氏と宗教戦争をやっている。神は信仰を必要とする。さもなければ、預言者をつかわす理由がない。神として認識される事で、何らかのパワーが付くなどの理由があるのかも知れない。
ならば、その時代に最も人々に受け容れられる媒体を使うべきだろう。
ナウいメディアだった小説
ラブクラフトが預言者であろうと、小説家であろうと、その「神話」は、小説として発表された可能性が高い。
何故ならラブクラフトが活動をしていた20世紀初頭、自宅で楽しめる娯楽のメインストリームは小説だったからである。
伝説的パルプマガジン『ウィアード・テイルズ』にプロデビュー作『ダゴン』が掲載されたのは1923年。
ラジオ放送が始まったのは3年も後の事で、テレビ放送に至っては彼の死後である。
この時代、パルプ・マガジンとかパルプ・フィクションと呼ばれる、小説雑誌が最も勢いのあった時代だ。
このビッグウェーブに乗らない預言者はいない。
もし現代に預言者ラブクラフトがいたら、動画配信などの手段を用いた事は想像に難くない。キリストにせよ仏陀にせよ、辻説法でやる訳がない。人類を救おうという使命感があるなら、尚更あらゆる手段を使うだろう。
意識
だが、あくまでラブクラフトは小説家だろうと考えるかも知れない。
彼の頭の中を誰が覗いただろう。
神々はもとよりパワフルな存在だ。人ひとりの無意識を操作する事は容易い。
神が彼の意識を支配し、神話を描かせた、もしくは、小説のインスピレーションとして己の姿を開示したと考えれば、何の矛盾もない。
そもそも有名な『クトゥルフの呼び声』は、そのままクトゥルーの夢を通したテレパシーの事だ。
人間の創造力は、結局経験の再生産だ。変形のさせ方が甚だしいだけで、どこかにその人が現れる。
だとすれば、全く新しい発想は、一体どこから降って湧いたのだろうか。
人知を越え、人間存在を省みない宇宙的存在を、人生の大半をプロビデンスに引き籠もっていた病気がちな男が、どこから考えついたのか。周囲の何をどう組み合わせれば辿り着けるのか。
ラブクラフトは結局、宇宙的恐怖とそこに存在する神々を描いた。それで充分神話の要件の一つを満たしている。
後は信者だけだ。
これも簡単な事だ。
名前は既に知れ渡っている。
宗教的情熱に燃えた誰かが、宗教を立ち上げ、経典に『ダンウィッチの怪』を持ち出し、これを元に教義を作れば完成だ。
本当の神話
さてさて、当然これは与太話である。
与太話であるが。
既存宗教とどこに違いがあるだろう。
古典的な宗教において、聖典は壮大な伝言ゲームと注釈の塊だ。
開祖が何の気なしに口にした例え話が神話では事実となり、編集者の趣味も盛り込んだ一大叙事詩が編み上がる。
それで良い、そういうものだ。
もしもあなたが既存の宗教より、暗黒神話体系にリアリティを感じ、信仰に足ると考えれば、それを信じれば良い。
宗教の本質は理解を超えた不明を明らかにし、人生の未解決の恐怖を軽減する事である。
多くの宗教が死後の世界を語るのは、それが未だに科学によって観測できないからだ。
一方、宗教は天気を語らなくなった。人工衛星による気象観測は、天気を科学的現象として明確にしたからだ。
現代人は死を畏れるが、天気は恐れるだけだ。
その観点で、暗黒神話体系があなたの心を安らがせるなら、身体に馴染まない既存宗教よりはずっと有益である。
そもそも日本人は、神道という歴史はあるがマイノリティの宗教が深く根付いている。その中では、八百万の神の1柱に収まってくれる。
キリスト教徒にしてみれば、ドルイド教やマクンバと何一つ変わらない。唯一神は平等だ。そこに暗黒神話が混じったところで、所詮はただの邪教で、同様に価値がないのである。
featured image:Lucius B. Truesdell, Public domain, via Wikimedia Commons
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