この話は入院した大学病院の相部屋で、となりのベッドに寝ていたおじいちゃんに聞いた話です。
その方は近衛兵として関東軍に従軍して、現在の中国東北部(いわゆる満州)に駐在する期間が長く、もっぱら馬の世話をしていたそうですが、同時に兵隊に食べさせる食料の調達も近衛兵に課せられた重要な任務であったそうです。
近衛兵というとなにやら格好よく響きますが、実情はかなり違っていたようです。
それでどうやって食料を調達したかという話になると、その方は顔を曇らせて一言「盗賊集団みたいなものでしたね」と自嘲されました。
経理も任されていたというその方は「軍票」なるものを手に、中国人の農家や商店から食料品その他を買い入れていたんだそうですが、軍票は軍が壊滅したり消滅すればただの紙切れになる運命です。現にそうなったわけですが、戦争末期はそれを承知の上で半ば脅しをかけて買い物をするので、自らを盗賊を表現したんだと思います。
だからその役がすごく嫌だったとも言っていました。
しかしそれをしないと自分を含めて兵が餓えるので、仕方なく中国人をだまして食料を調達せざる得なかったというんですね。
それに比べて戦後今にいたるまで言われる「○○大虐殺」とか「従軍慰○婦」とかに関しては、餓えた兵にそんなことをしているゆとりがあると思いますか?と逆に聞かれてしまいました。
少なくともその方は、そんな話は中国にいたとき見たことも聞いたこともなかったそうです。
自分が与えられた仕事に精一杯で、余計なことをするゆとりがなかったように他の兵もそうだったはずだと、にべもありませんでした。
※画像はイメージです。
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