アンドレイ・チカチーロは、ソ連時代に52人の婦女子を殺害したシリアルキラー。
1978年から1990年まで犯行を繰り返し、「赤い切り裂き魔」「ロストフの殺し屋」などと呼ばれた。
筆者はこの「赤い切り裂き魔」の犯行を改めて探ってみると、とにかく「変態」としか言いようがない。
ソ連の共産主義が生み出した最強のシリアル・キラー、アンドレイ・チカチーロについて解説していく。
アンドレイ・チカチーロの人物像
チカチーロは1936年、ウクライナ共和国の小さな村で生まれた。
この年はウクライナでは大飢饉がおきて、人肉食も横行していたと言われている。
アンドレイの兄も隣人に誘拐されて食べられたらしいが、母親から聞いた話で確証はない。
ただ、アンドレイはこの話を非常に興味深く聞いていた。
アンドレイはとても内気な子だったらしく、女のこと話せるタイプではなく、成長するにあたってインポテンツに悩まされるようになる。そのために自分は「神の意思で去勢された」と信じていたらしい。
読書が好きだったらしく、本に描かれていたソ連のパルチザンがドイツ兵を拷問するシーンに性的興奮を覚えていた。
この頃は読書三昧で、ひたすら読書と自慰ばかりしていたらしい。
まあ、この年代はこんなもんだろうが、内容がすでにアブノーマルだ。
性的コンプレックスを持ったまま、勉強に打ち込み、エリートを目指してモスクワ大学を受験するが失敗。
そのため不本意ながら工業専門学校に進み、卒業後は通信技師として働いた。
電気工として働くものの、働きながら自慰にふけっており、同僚に見られて馬鹿にされていたらしい。
そんな兄を心配し、妹は友人を紹介。結婚、性的不能も克服し2人の子供をもうけている。
そして、ソ連共産党に入党。
大学進学の夢を捨てきらなかったために、30歳で通信教育を受け大学を卒業。
その後教職資格を取得し、小学校の教師に転職する。ちなみにソ連で教師はエリートといえる存在。
この頃は変態だけど少し変わっている男程度だったらしい。
このままで行けば犯罪は起こらなかったのかもしれないが、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。
小学校の教師となったアンドレイ
小学校の教師となったアンドレイは、内気で極端なあがり症でまともな授業が出来なかったらしい。
とりあえず低学年のクラスを指導するようになるも、今度はセクハラの噂が立ち始めるが、目撃情報があり、校長から追及され辞職に追い込まれてしまう。
その他色々な学校を転々し、少年寮に入って15歳の男の子をフェラチオしながら、自慰にふけるという変態行動を起こしてしまう。これにより全校で生徒や教師からさらに馬鹿にされるようになった。
筆者としては、こんな男をどうして教師のままにしているのかが不思議でならないが、どうやら学校側が隠ぺいの方に走ったらしい。
1978年、炭鉱専門学校の教師をしていたところ、9歳の少女を強姦しようとするが、抵抗されたことにより殺害。
彼女の性器をめった刺しにしている時に、性的な快感があり射精をしたそうだ。
この後3年ほど殺人を犯さずに息をひそめるが、衝動を抑えられなくなり、性交に誘った売春婦やホームレスを殺害。
中には勃起せずに笑われたことに怒り殺害したという事もあった。その後も家出した子供なども森に誘い出し、犯行は繰り返された。
ソ連の警察機能がお世辞にも優れているとは言えず、あまり的を射ない捜査を繰り返し時間だけ無駄に過ごしていたらしい。
教師の次は国営工場の技師
結局度重なる変態行為により教職を解雇されたチカチーロは、国営工場の技師として再就職した。
待遇は良いものの、ソ連内を沢山移動する仕事であるために、少し問題がある人物も就職しやすかったらしい。
殺人はエスカレート。男女関係なく襲い、両目をえぐって殺害、肉を食べ、持ち帰り調理している。
この頃になると抵抗する相手に対して興奮し、性交ではないにも関わらず射精していた・・・生粋の変態だ。
この時までに職務質問を受けていたらしいが、どれも殺人罪までは見越せず、それも連続殺人が増長するきっかけとなった。
後はチカチーロの体質も発見が遅れる原因、彼は血液型と体液が一致しないタイプだったため、証拠がなかったというのだ。
しかし逮捕歴がみつかり、技師の仕事を解雇される。
その後に
解雇後ノヴォチェルカッスクで新しい仕事を始めているが、できるだけ目立たないように行動したらしい。
それでも、1年に3人も殺害しているのだが・・・。
1985年にはモスクワで殺人を強行。
これはソ連治安当局も本腰を入れるようになり、KGBまで動くようになった。
今頃かと思うが、当時は地域ごとにわかれており、横のつながりがなかったらしい。
そしてロストフにKGBの少佐が派遣され、捜査開始。
しかしこの期間、チカチーロは大人しくしていたらしく、さらに時間がかかった。
ついに逮捕された
1985年以降は、軍まで動いておとり捜査をするが、チカチーロは犯罪を犯さずに、さらに犯人捜しのボランティアまで加わっていた。しかし変態は我慢できなかったらしく、モスクワから離れたところで殺人を再開。
1990年に、少年7人と女性2人を殺害している。
22歳の女性を殺害した後に、返り血を浴びていたチカチーロを警察が発見。
彼の勤務記録を調べたら、事件があった場所と一致し最重要人物としてマーク。
KGBも彼に張り付いていたが、泳がせておくのは危険として、警察とKGBが逮捕。
合同で捜査が行われ、最初は容疑を否認していたものの、精神科医によって自供し始めた。
監禁そして死刑
チカチーロは監禁され、24時間ビデオ監視されていた。
理由はロシアでも子供に対する性犯罪はタブーで、殺される可能性もあったかららしい。
精神鑑定中にソ連が崩壊するが、精神鑑定は行われており、「責任能力あり」と結論付けられた。
1992年には裁判が始まるが、裁判では下半身を露出したり意味が通らないことを叫んでいたらしい。
聴衆から罵声が飛んでも、手を振るそぶりも見せている。
これは精神異常による無罪を狙っていたらしい。
死刑判決が1992年に下る。上告しようとするも、当然はねつけられた。
最後は1994年2月14日に銃殺刑に処されている。
長らく逮捕されなかった原因は?
筆者も不思議でたまらないのが、なぜ長らくこんな怪物が放置されたのか?
この事情は、ソ連ならではのものがあったらしい。
なんでもソビエト連邦では、「連続殺人は資本主義の弊害によるもの」という価値観だったとのこと。
この辺りは詳しく知るには、かなり深く社会主義の考えを知る必要があるが、まあ要するに共産主義下では連続殺人は起きないという事らしい。そのために警察は同じ犯人が連続で殺人したと思っておらず、それぞれ個別の殺人事件として処理していたらしい。後はソ連全土で殺人がばらけていたこと、男女見境ないために絞り切れなかったということだ。
体制に問題があると筆者は思うのだが。
事件を振り返って
なんでもチカチーロの息子も殺人を犯している。
チカチーロが捕まった後は、名前を変え全く違う場所で家族で暮らしていたそうだ。
しかし息子は2009年にウクライナで殺人を犯している。知人をナイフで刺した。
窃盗などもする生粋の悪だったらしく、カエルの子はカエルなのだなと思う次第だ。
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