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炭鉱にみる幽霊の類型的考察

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北海道三笠市には、旧住友奔別炭鉱という炭鉱の廃墟がある。
かつては東洋一とうたわれた大規模な立坑であったが、昭和41年に爆発事故による多数の死者を出した事、石油へのエネルギー転換があった事などから、昭和46年に閉山となった。

現在も私有地であり、年に何度かの公開日以外は立入禁止である。
ホッパー(石炭の選別場)も、老朽化から立ち入り禁止になっている。私が訪れた時はまだ制限はなく、当時の備品が生活感そのままに放置されていた。

目次

炭鉱は心霊スポット?

大量の死者を出したこの炭鉱には、幽霊の目撃例がある。
閉鎖空間である坑道内での事故は、絶望的状況であり、未練が残り化けて出て当然。我々はそう考えがちだ。
だが、幽霊が我々の認識するようなものであるなら、それは必ずしも正しくはない。

幽霊は、死後の概念とセットになる。
すなわち、正しく死ねたものは「往生」が出来、次の段階に進む事が出来る。そうでないものは現世に幽霊として留まる、との考え方だ。
逆にこの輪廻による新陳代謝がないと、世界は幽霊だらけになってしまう。
ちなみにこの輪廻から抜け出るのが成仏であるが、ここでは詳しくは触れない。

幽霊になる死に方としては、

  1. 本人の未練(一般的な幽霊)
  2. 他者の引き留め
  3. 死に方の異常性

に大別される。

2は一家心中などで温度差がある者が全員幽霊になっているパターン、ハイチのゾンビも呪術者による引き留めだ。唯我論的には自己暗示で見える幻覚もこの類型と言える。

3は1とは別枠だ。まずは自殺が考えられる。幾つかの宗教で、自殺は区別される。また、悪魔などの策略で魂を差し出して死んだ場合や、神格に類する邪悪なものの手で殺された場合も当てはまる。

炭鉱の死者が幽霊になる理由?

さてこれらの類型に当てはめると、どうも炭鉱の死者が幽霊になる理由が浮かばない。
戦後の鉱員は、死と隣り合わせではあるが、決して強制労働させられた奴隷ではない。高給取りで金払いも良い。炭鉱町には家族も住んでおり、小学校だってあった。
私生活が充実していて、死ぬ可能性は分かっている状況でやっぱり死んだ時、果たして幽霊になるほどの未練はあるだろうか?
死に方も、あくまで事故という物理現象でしかない。

このような場所で観察される幽霊は、結局1の類型である「地縛霊」と結論づけるべきだろう。
地縛霊は恨みではなく無自覚による幽霊化を意味する。日常の延長で死んでしまった為、死を自覚出来ない。
当然、攻撃性などあろう筈がない。
ただ自分の日常を繰り返すうち、見慣れた風景が朽ちて行き、そして居場所を見失った末にようやく往生していく。
転生までの期間が空いてしまうのは気の毒だが、長い闘病生活などの苦しみを経た終末よりは、案外好ましいのかも知れない。

注意すべきこと

心霊スポット巡りとしてこれらの炭鉱跡を訪れる場合は、そんな彼らの静かで長い余生に踏み込んでいる事を自覚し、徒に騒ぎ立てるような事を慎しもう。

地縛霊が祟るべき恨みがない穏やかな存在と言っても、自分の家に侵入した者を追い払う権利ぐらいはあるだろう。

ごんぱちです。好きな神仏は地蔵菩薩です。

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