カルト宗教・・・2022年に起きた安倍晋三銃撃事件以降、テレビやネットでこの言葉を見る機会が増えたかと思います。しかし実際はこうして表沙汰になるずっと前から、このカルト宗教に関する問題は起きていました。
カルト宗教にまつわる大きな事件といえば、約30年程前のオウム真理教上げられるかと思います。
日本は一度カルト宗教によって危機に瀕していたとも言えますが、それにもかかわらず、現在でもなぜ蔓延っているのか・・・あなたは考えたことがありますか?
カルト宗教とは
「カルト」という言葉はもとはラテン語で「崇拝」という意味で、学術的な意味ではカリスマ的リーダーがいる小規模で熱狂的な人々の集まりを指します。
我々が認識している「カルト」の意味合いは、アメリカ合衆国で使われた「伝統的に異端的なキリスト教や新宗教等を指す言葉」が近いのではないかと思われます。日本ではこの「カルト」の概念は1990年代、恐らくはオウム真理教が原因で一般にも知れ渡る存在となりました。
普通の宗教とカルト宗教の違い
全てのカルト宗教が当てはまるとは限らないのですが、問題を起こす多くの団体は「創設者が生きている」事、一般的な宗教との大きな違いではないかと思います。
真理を悟った者・・・仏教ならブッダ、キリスト教ならイエス・キリストを主としていますが、彼らはもういません。
カルト宗教には、仏教やキリスト教をベースにした派生宗教もありますが、そういった所も「創始者」よりも「創設者」に重きを置いているように見えます。
そして「入らないと不幸になる」といった脅し、「入ると幸せになる」といった救い、人々の弱みにつけ込んでくるのでしょう。
とある宗教には「この宗教じゃない人が落ちる地獄」といったものがありはするそうですが、仮に地獄があったとしても、判断をするのは人間以外の存在であって、宗教でも教祖様でもありません。
「教祖様は人間でない?」ではなぜ死ぬのでしょう、転生やらは言い訳でしかなく、死を乗り越えていませんよね。
「入らないと地獄に落ちますよ」なんて言う人の方が地獄への第一歩踏み出してるんじゃないかな?と思う今日この頃です。
神様に寛容?
こういったカルト宗教関連の話を耳にすると、「気を付けなくては」と思うと同時に、「まあ自分は変な宗教とかには引っかかることないと思うけど」と思いませんか?
そう思うことは不自然ではないです。身近な問題ではあるものの、身の回りでそういったコトが起きない限りどこか他人事に感じます。
しかし「信仰」自体はかなり身近なんですよね。
皆さんソシャゲはやっていますか?ソシャゲといえば「ガチャ」ですが、このガチャのシステムに対して「最高レアが出るための教え」を耳にしたことはありませんか?
例えば「描けば出る教」「フレンドポイント調整教」「水脈(トイレやキッチンなどの水回りのところでガチャを引く)教」「某ライターの記事を読んでから引く教」などなど。
真剣に崇拝しているというわけではなく、ゲン担ぎなのですがこれも一つの「信仰」といえます。
他には大阪万博の公式キャラクター「ミャクミャク」が発表され、ネットでは「ミャクミャク様」と呼んでいる方が多く、「民間信仰のようだ」といってはその手の話の創作が盛り上がっていた記憶があります。実は私も「ミャクミャク様」って呼ばないとなんかソワソワします。
上記の例は「皆ジョークだとわかったうえで言っている」ことではありますが、日本人は割と「宗教」「神様」に関してはガードが緩いのではないかと思います。
何故でしょうか・・・それは我々の予想以上に神や宗教が身近な存在だからです。
神様を信じていない方も多いかと思います。しかし、自宅又は祖父母の家には仏壇があって、帰るたびに仏壇前で「帰ってきたよ」と仏様、ご先祖様に挨拶がてら手を合わせる、という方は結構いますよね。
神様を信じていようがなかろうが、「仏様、ご先祖様への挨拶」は自然な行動とすら思えます。
実はそこには日本の神道の精神が、知らず知らずに見についているのだと思うのです。
お寺や神社、神様に関する物、神々しい自然現象にすら、自然に手を合わせて敬ってしまうと思うのです。
だからこそ気軽に「〇〇教」だの「〇〇様」だの概念を生んでしまうのではないかと思います。
カルト宗教にはまってしまう人って?
皆さんはカルト宗教にはまる方はどんな人物を想像しますか?
周囲に聞くと「絶望の淵に立たされている人」「窮地に立たされている人」など、「生きるか死ぬか瀬戸際の人」を想像する人が多い。
勿論そういう方もいますが、実際はそんな人ばかりではなく、意外と若い方も多いようです。
毎年4月頃はSNSで「このサークルには気を付けろ!」という注意喚起を見たことありませんか?
大学や専門学校などで「校内の宗教勧誘は禁止です」という旨のチラシを見たことはありませんか?
宗教勧誘というとおば様達が本を片手に訪問してくるというイメージが強いですが、大学のサークル勧誘に紛れてることも多いんです。
狙われやすいのは「大学のためになれない土地に引っ越してきた人」「周囲に知り合いがいなくて友人がうまく作れない人」といった定番に加えて、「自分はこの世界の主人公なんだ!」と思えるタイプの人も。
私もはじめ聞いたときは「むしろ扱いづらいのでは」と思いましたが、この手の人たちの根は単純。
大学サークルに扮する輩は「主人公である」事を理解してあげて仲間意識を与え、「人間関係が豊かになるよ」「精神的な成長が望めるよ」といった耳ざわりの良い言葉を使えば簡単なお仕事だそうです。
入ってしまえば「この組織に所属した自分たちだけがこの世界の真実をしっている」と映画の主人公にでもなった気分になり、あとは言いなりに。
つまり正直な話、どんな人でも何かのピースがはまって信じてしまう可能性は0ではないんです。こうやって色々書いている私だって、はまってしまう可能性はあります。
もしカルト宗教に誘われたら
あまり面識のない女性にデートに誘われた、サークルの体験入部、医者に治せない病の治療法を提案された、「健康にいいよ」とサプリを貰ったら、「XXXの真実」を知ることができる・・・我々の予想以上に巧妙な手口で懐に入ってきます。
もしも「友人がカルト宗教に入った」という状況になったとしても、助けようと思ってその場に乗り込むのも勧めません。ミイラ取りがミイラになる可能性が非常に高いそうです。
「私は宗教とは無縁だから」と思わないでください。
こういうのは、なにも入り口を宗教にこだわっているわけではありません。
ひとまず、「自分がまさかカルトとか入らないって(笑)」と思わず、警戒して損はないと思います。
一旦冷静になって、信用できる第三者の意見を聞いてください。
宗教などそういうのを抜きにして「相談できる相手を作ること」これが大切です。
カルト宗教ってなんなのだろう
今回はカルト宗教に関しての、私なりに考えを述べさせていただきました。
あくまで個人的意見なので、専門家の方からしたらもっと深く掘り下げられる部分など指摘部分はあると思います。
結局、カルト宗教って、ほとんどの場合が教祖様の劣等感やトラウマを元に作られ、同じ様な人たちが集まる場だとおもうのです。
宗教として、それはそれで問題がないのですが、個人の自由意志や財産を剥奪してしまうのが問題。
その行くすえは、殺人や集団自決、陰謀論ではありませんが社会の支配や転覆などの社会問題に発展してしまうことでしょう。
だがしかし、すべてを否定しません、ちゃんとした宗教もあることも覚えていただければと思います。
私としてカルト宗教かの判断は、金銭を含めて、布教や活動に関しての無理難題を押し付けられず、正常な人間関係を築き、幸せになれる事であり、それが本人の主観だけでなく、第三者の他人から客観にそう判断できる物です。
皆さんの人生が不条理なモノに搾取さわれないことを祈ります。
※画像はイメージです。
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