周期的にメディアに取り挙げられ度々世間を揺るがせている『カルト』と呼ばれる組織。
国内外に今なお点在するこれらは、今と起源では少しニュアンスの違う存在だったらしい。
興味深い話を耳にしたので紙面に軽くまとめていこうと思う。
現代の『カルト』
昨今のメディアで聞く『カルト』に、読者諸君らはもしかしたら「妄信的な宗教信者」や「テロ、暴力事件」などのイメージを持っているかもしれない。
実際にそのような位置づけにある組織による歴史的かつ凄惨な事件も過去にあったし、一般大衆だけでなく組織内の信者に対する傷害沙汰の報道は今もよく取り挙げられている。
こういった組織は国内外に多数存在し、各々の国が独自に定義を設け組織をリスト化していたりもする。設けられている定義に細かい違いはあれど、
「何かしらの熱心な思想を掲げながら、他者に危害を加える集団」
という点は統一している。
逆に統一されていない部分に目を向けると、実は『カルト』という組織の持つ特色が複数存在しているのが見えてくる。
カルト組織の原動力及び目的たる思想は何も宗教的なものばかりではない。
極右・極左の思想流布を目的とする『政治的カルト』やマルチ商法などで信者や参加者から利益を得ようとする『経済的カルト』、一夫多妻のコミュニティを形成する『ポリガミーカルト』など。思想を主張する手段が極めて暴力的だと『テロリストカルト』『破壊的カルト』と呼ばれたりもするが、このように、カルトに分類される組織が持つ特色で最も違いが顕著に表れているのは「各組織が掲げている思想」といえる。
とはいえ、昨今ネットで各国の組織に関して調べるにも「カルト教団」と検索する方がスムーズに調べられるほど、「カルト≒宗教的」の認識は根付いている。この認識には、報道などで知名度があるカルト組織が軒並み宗教的思想だったことも影響しているが、元々人々がどのような存在をカルトと呼んだのかという「カルトの起源」も関係している。
『カルト』の起源と歴史
カルトという言葉はラテン語で『礼拝』『儀礼』『崇拝』などを意味する『cultus』が語源で、ヨーロッパ圏では同義の『セクト』が使われている。
一組織を指してカルトと呼ぶようになった時期は諸説あるが、1900年初期に神学者エルンスト・トレルチと社会学者マックス・ヴェーバーが著書の中で市民権を得ていない・・・。
国や都市から認められていない宗教団体をカルト(セクト)と位置づけたのが記録としては始まりともいえる。
そして1920年代のアメリカで現地発祥のキリスト教から派生した新宗教をカルトと呼び、1930年代にはキリスト教以外の異端の宗教をカルトと呼ぶようになった。
その後もカルトという概念に関しては社会学・宗教学の観点から多くの学者がアプローチし、カルトに分類される団体の持つ特色や団体がどのような過程を経て組織化するかなどの研究が進み今に至る。
日本においては、その存在が広く知れ渡ったのはやはり1990年代の悍ましい事件の報道からだろう。カルトという組織自体は以前よりあったのだろうが、『カルト≒大量殺傷事件を引き起こす妄信的宗教団体』といった極端な認識で用いられている。
『カルト』の変容と今
歴史を振り返ると、カルトは元々
「(新教・秘教問わず)あまり周知はされていないが、熱狂的な信者は一定数いるマイナー宗教」
といったニュアンスだったのが、いつしか
「(新教・派生問わず)国が信仰する神以外を熱狂的に崇める団体」
に変わり、今では
「(信仰対象が神かは問わず)自身たちの熱狂的な信仰を他者に危害を加えることで主張する暴力的団体」
というニュアンスで使われている。
時代が流れるにつれ広域的になっているのは信仰対象と主張方法の多様化に対応した結果ではないか、と推測できる。そして時代が流れても変わらない『国が認める宗教』と『それ以外』の明確な区分化、そこから滲む
「我らが唯一神は信仰に暴力を望まない」
「お前たちの振るう暴力は信仰とは呼ばない、神も赦さない」
という、排他的ではあるが絶対に譲れない主張こそ、カルトという分類の存在意義であるとも言えるのかもしれない。
では多神教、八百万の神の存在も宗教の自由も許している日本ではどうかというと、これもまた興味深い事柄なのだが、あいにく紙面が尽きるので別の機会に筆を取ろうと思う。
興味が湧いた者は是非自身でも調べてみるといい。
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