茶の湯が戦国武将を魅了した理由

室町時代の茶の湯は上級武士や公家の贅沢な遊びで、 他の銘柄当ての賭け事や、唐物(からもの)と称する高額な中国製茶器収集を競ったりしました。
その後、茶会を開く亭主と招かれた客との気持ちのやりとりを重視する、いわゆる侘茶が生み出されます。
侘茶は千利休が出るに至って戦国大名がこぞって利休に教えを乞い、広く世に広まります。

茶の湯の政治利用

1.安上がりな報奨

茶の湯に使われる茶碗など道具は、高価なものが好まれる伝統がありました。
中には一国の領土に価するほどの価格が付くものもあったようです。

権力の頂点に上り詰めた信長は絶大な力を背景にそんな茶道具を集めます。
優れた審美眼を持つ信長が、それらの美術的価値を求めたこともありますが、 現実主義者である彼は、討伐したり降伏させた敵からの戦利品の茶器を、 しばしば麾下武将への報奨にあてました。
生産基盤である領土の分散を防ぐ狙いがあったのかもしれません。

また信長は茶の湯の催しを許可制としています。
重臣とされるほどの武将にしか彼はそれを許可しませんでした。
それはつまり全く経費のかからない報賞として機能しました。

2.密談の場

秀吉とその軍師・黒田官兵衛との一つの逸話が伝わっています。
ある日、茶の湯好きな秀吉が官兵衛のもとへ、「茶を飲みに来い」と小姓を呼びに遣ります。
仕方なくやって来た茶の湯嫌いな官兵衛に秀吉が話し出したのは、超極秘性のある案件でした。

彼らが二人きりで話をしていると、どんな重大な密談が交わされているのかと周囲が余計な詮索をします。
そんな詮索が妙な噂の原因になるの防ぐために茶の湯の席を選んだのです。
茶室なら静かに茶の湯を嗜んでいて何の不自然もない。
だからわざわざ小姓にも「茶を」と告げたのだと、秀吉が言ったのだそうです。

この話の真偽は不明ですが、人の心の機微を知り尽くした秀吉ならではの、茶の湯の利用方法ではあります。

精神安定の場

戦国武将は恒常的に極度のストレスを抱えていたはずです。
首を刎ねられた自分や、血だるまになった家族を想像してしまう日々。
そうはならじと、生き残るために全神経を張り詰める毎日。
そして地獄絵図そのものの戦。戦国武将といえど殺戮の現場で平気な人間などいません。

そんな苛酷な生活の中では、精神的安定を保つために何かが必要です。
それが茶の湯だったのではないでしょうか。

侘茶をごく平易に説明すると、人がいかにゆるりとした気持ちで過ごせるかを突く詰めるものです。
それは、戦国の日常とは正反対にあるものです。
興奮と冷静。緊張と弛緩。波乱と平静。狂気と正気。安穏と焦燥。
毎日が厳しければ厳しいほど、武将たちはその反動として本能的に茶の湯を求めたのではないでしょうか。

歴史大好きじいさんです。
現在の茶道にあたる茶の湯はその源流が室町時代に生まれ、戦国末期に千利休が侘茶を完成させました。
茶の湯は戦国大名たちの間で人気を博し、隆盛を極めます。
茶の湯の何が彼らを魅了したのでしょうか。

※画像はイメージです。

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