何故、大日本帝国の指導者達はあの太平洋戦争に日本を引きずり込んだのか。
何故、勝てると思ったのか?
対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案
「速ニ極東ニ於ケル米英蘭ノ根拠ヲ覆滅シテ自存自衛ヲ確立スルト共ニ
更ニ積極的措置ニ依リ蒋政権ノ屈服ヲ促進シ、独伊ト提携シテ先ツ英ノ屈服ヲ図リ
米ノ継戦意志ヲ喪失セシムルニ勉ム」
これは、昭和16年(1941年)11月に大本営政府連絡会議が決定した、太平洋戦争全般にわたる基本方針の一部です。
極東に於ける米英蘭の根拠地とは東南アジアの米英蘭の植民地とその軍事基地の事で、陸軍マレー作戦に始まる南方作戦は順調以上に進展し、海軍もハワイ真珠湾攻撃やマレー沖海戦で米英の艦隊を殲滅して、この方針通りの成功を収めます。
中国戦線は、天津の英租界地接収や英領香港占領などは成功しますが、正式に対日宣戦布告した蒋政権の屈服は果たせないまま戦争が続きます。
人頼みの戦争方針
極東における日本軍の攻勢により、軍部のみならず国民を含む国全体が勝利への期待を膨らませました。
しかし戦争終末促進、即ち戦争の終結は対戦四ヶ国本国との間に戦争が終結しなければならず、その目的を達成する為の戦争基本方針に於けるキーポイントは、
「独伊と連携して先ず英の屈服を図」る事なのです。
「連携して」と曖昧な表現が使われていますが、 要するに「英の屈服」は欧州戦線における独の対英戦勝利に全面的に頼っているわけで、そんな「英国の屈服」を前提として日独による挟み撃ちによって「米の継戦意志を喪失」させる事が基本方針となっています。
即ち戦争基本方針の最も肝心な点が全くの人頼みとなっていたのです。
見込み違い
1940年の英国本土侵攻をかけた英独の戦いは、ヒトラーが中止命令を出して失敗に終わり、その後ドイツはソ連へその矛先を転じます。
この戦いのおける英独の制空権争いはバトル・オブ・ブリテンと呼ばれる大空軍戦で、第二次大戦の欧州戦線において大きな転換点と言われています。
翌年日本は英米蘭に対し宣戦布告しますが、英国が屈服しなかった事は、そのまま大本営基本方針の破綻の始まりとなりました。
それまでの独の圧倒的強さを目の当たりにしていた大本営は、そのまま英国が生き残るとは思ってもいませんでした。
しかし、それは大本営の大いなる見込み違いだったのです。
結論から言えば、大本営は綿密な計算や戦術があって太平洋戦争を始めたでのでは無く、甘い見通しや他力本願、見込み違いから始め、その通りの当然の結果で終わったといっても過言ではないでしょうか?
参照
太平洋戦争における日本の戦争指導 屋代宜昭
日本はなぜ負ける戦争をしたのか 田原総一郎
※写真はイメージです。
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