フィリピンの海で亡くなった祖父

語り継ぐ

この話は、私の父と、その母、私の祖母から聞いた話です。
私の父方の祖父は農業高校を卒業後、志願して海軍になり、太平洋戦争で1944年の11月23日フィリピンのレイテ島で戦死しました。

戦中は父の家族は長崎県の佐世保市に住んでいました。
祖母は今でいう看護師をしてましたが生活が苦しく、ほかに子供が3人いたため、父がおなかの中にいた時に祖父の実家佐賀市に帰ってきたそうです。

祖父はとても頑固で強い人だったそうです。志願していたくらいですから、お国のために戦うという意思が強かったんだと思います。
祖父が戦死した日からしばらくして、玄関に亡くなったことを記載された紙がポンと置いてあって、とてもむなしかったと祖母は言っていました。

祖父は船は沈んでしまったので遺骨はありません。代わりに骨壺には形見の眼鏡や時計を入れたそうです。
その時に生き残った人はたった2人、それだけすさまじい状況だったんだと思います。

そして戦後、父たちの生活は本当に苦しかったそうで、父が川で釣った魚と米や卵となどと交換してもらったり、形見のレコードなども売って生活していました。
祖父は父が生まれる前に戦死したので、一緒に生活もしたことがなく、顔をさえ知りませんが、しかし父はとても尊敬していました。

祖父が残した言葉はたった一言で、「兄弟仲良く」だったといいます。当たり前というか、極普通の言葉だと思いますがなかなか難しいことでもあります。
父はこのことをよく守り、私たち子供にもその言葉を伝えてくれました。

祖父がお国のために戦ってくれたからこそ、いま私たちは普通に生活できています。
こんなことをいうと、戦争を美化しているとかいう人もいますが本当にそう思えてくるのです。

先日、父が亡くなりました。
ようやくあの世でお父さんの合えたんだと思うとさみしいですが、これでよかったんだとも思えてきます。

37歳で志半ばで戦死した祖父、72歳で病気で亡くなった父の分までしっかり生きていきたいと思っています。


Writing by コウ
料理とガーデニング、散歩が趣味です。