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戦争の食事、今との貧困の差。

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私の祖母から聞いた戦争の話です。よく聞かされていました。

戦争中の食事は主にサツマイモを食べていました。配給されるお米も少なかったのでよく食べていました。
ですが、取れる時期があるでその時期にしか食べません。それ以外の時期はカボチャが主食だったそうです。

配給は米用の通帳があるのですが、ほとんどもらえなかったそうで、家族で食べていくにはお粥にしてシャビシャビにしないといけなかった。
そして配給は偏り、もらえる日と少ない日に差があったらしいです。

配給がない日もあり食べるものがない日もあって、そういったときは貯蔵している芋を少しづつ食べていました。
それでは足りないので、葉っぱも煮込んで芋と一緒に食べていました。

しかし、食べているときも空襲警報がなってしまうときもあり、みんなで急いで防空壕まで行くそうです。
防空壕の中は子どものときだったので、暑いか涼しいか忘れてしまったのですが、でも防災頭巾は暑かったと。
防空壕の中にいるときは、早く終わらないかなと思ったそうです。
そんななか、小さい子は疎開先があると非難しますが、親戚の空襲が起きなさそうな場所に行き生活を共にしている。

戦争中は、兵隊に行くことがあり、神社や学校でよく練習されていたそうです。
男の子が戦争に行くと決まったら、近所の人におめでとございますと言われ、今では考えられないです。
戦争発言をしたりする人もいて、気持ちのわからない方もいますが戦争のない平和の国と世界になってほしいです。

※画像はイメージです。

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