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終戦間近、しかし祖父はそれを知らない

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この話は私が20代の頃、祖父に聞いた話です。
祖父は志願して太平洋戦争に赴きました・・・齢17歳。
お兄さんは南方で戦死していました。

食卓を囲んでテレビを見ていた時でした。
今まで戦争のせの字も話してこなかった祖父が、テレビに横須賀が映ると急に話し始めました。戦争特番などではなく、旅行バラエティーとか、そういった番組だったと思います。

祖父が志願兵で戦争に行ったことは知っていましたし、恐らく出兵の朝に撮ったであろう白黒写真も見たことがありました。けれど実際にどんな体験をしたのかは知りませんでした。

祖父は3兄弟の末っ子で、一番上のお兄さんは体が弱く兵役につけなかったそうです。二番目のお兄さんは海外の戦地へ赴いていたそうで、一度、日本に帰ってきたことがあり、お父さんが九州まで会いに行っていたと言っていました。
そして再び戦地へ赴くために乗船した船が敵襲にあい沈没。何もかも沈んでしまった、何も戻ってこなかった、と話す祖父の寂しそうな顔が今でも浮かびます。

そしてついに末っ子の祖父が兵士になることになりました。招集されたわけではありません。志願していきました。制服を着た祖父の写真はまだ若く、とてもあどけない顔をしていました。

居住地から列車に乗って横須賀の海軍基地へ。列車から見た東京の風景を祖父は覚えていました。一面の焼け野原。現代の日本で、一面の焼け野原など見る機会があるでしょうか。
80代になっても覚えているなんて、よほど衝撃的だったに違いありません。

横須賀に着くと、当時、ペリー提督の銅像か何かがあったそうなのですが、なぎ倒されていたそうです。
基地に着くとまず訓練から始まったそうで、この辺りがよくわからなかったのですが、船の中でハンモックを掛ける練習?をした、というようなことを言っていました。

訓練の日々の中、なんと終戦の日がやってきます。祖父は帰りの切符だけを持たされ、生まれ故郷まで帰っていったのです。

祖父は一昨年亡くなりました。あの写真は捨ててしまったのか、もうありません。
祖父がどういった心境なのかわかりませんでしたが、いい思い出、で処理できるはずもなく、いくら考えても私にわかるはずもありません。

でも一つ言えることは、祖父が生きて帰ってきてくれて感謝したいということです。祖父なくして今の私の存在はあり得ません。終戦記念日を迎えるたびにそう思います。
授業や修学旅行で行った沖縄で実際の体験を聞いたこともありますが、やはり自分の祖父の話というのは特別なものがありました。

今年の八月もまた黙祷を捧げ、平和を祈りたいと思っています。

※画像はイメージです。

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