帝国海軍は日本海海戦の夢を追い続けた

  • 2019-07-16
  • 2019-12-26
  • 戦史
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日露戦争における日本海海戦の帝国海軍・連合艦隊の大勝利は、世界的海戦史上でも稀な完全勝利でした。
この事は以後の帝国海軍の軍体制や戦略にも大きく影響しました。

大艦巨砲主義

明治40年には帝国海軍は米国を仮想敵国としました。
その基本は日本海海戦同様に、日本近海のおいて戦艦・巡洋艦によって邀撃決戦を行うものでした。

そしてその補助作戦として、艦隊決戦までに太平洋を来航する米艦隊を暫時攻撃してその戦力を削いでいくべく、 潜水艦、駆逐艦の水雷戦隊、航空戦力の質量的開発を暫時進め、全体として漸減邀撃作戦が対米海軍作戦構想となっていきます。

従って帝国海軍の戦力の中心はあくまで長大な砲戦力を持つ巨大戦艦で、大艦巨砲主義が軍内の主流を占めるのです。

太平洋戦争への影響

この大艦巨砲主義とは違う、航空主兵主義だった山本五十六連合艦隊司令長官が指揮した真珠湾奇襲攻撃とミッドウェイ海戦で、 主力機動部隊を率いた南雲忠一司令官は対艦巨砲主義を強力に信奉する艦隊派軍人でした。 ですから艦隊指揮や操艦には熟達していた南雲も航空戦には素人同然でした。

真珠湾攻撃で第二次攻撃をしないで艦隊を退避させた事や、ミッドウェイ海戦で艦上待機の攻撃機兵装を換装した事は未だに問題視されています。 南雲が航空戦をもう少し知っていたら、各作戦の成否に係わったこれら事案も違った展開があったかもしれません。

またレイテ沖海戦においては、大和・武蔵など戦艦7隻を含む栗田艦隊が、主任務であるレイテ湾突入を中止して反転した「謎の反転事件」があります。

その主任務とはレイテ湾で兵員物資を揚陸中の米攻略部隊を砲撃で殲滅する事でした。
しかし第一遊撃部隊・栗田健男司令官は突入直前に艦隊を反転させて敵機動部隊を追い、結果その任務を果たさなかったというものです。

その理由、原因とは?

その理由、原因はこれまで様々取り沙汰されていますが、 帝国海軍の力の象徴である大和・武蔵を揚陸中の敵攻撃に使う事より米海軍の艦隊決戦に使いたいという、 従来からの艦隊決戦主義が栗田司令官の判断の根源的背景になっていないとは言い切れません。


真珠湾攻撃の経験や日本海軍航空隊により英国東洋艦隊が壊滅したマレー沖海戦から、航空戦力主体の空母機動部隊配備を推し進めた米国と比較した時、 日本敗因の遠因の一端が見える様な気がします。


Writing by 歴史大好き爺さん

意思や主義の統一は、いつの時代も難しいものです。

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