夢というのは、寝ている間に脳が記憶を整理する過程で生じるもので、眠りが浅い時に意識がそれらを認識すると、夢という実感を持って観測できると言われています。
だから夢と言うのは、実際に経験した物事や知っている場所などを織り交ぜた、景色が現れるのだそうです。
それは本当でしょうか…?
もし、あなたが見た夢が別の世界を垣間見ているとしたら?
不思議な夢
昔からみる私の夢は、物語仕立てや映像を俯瞰してみている夢をよく見ていましたが、その日は珍しく自分視点、つまり自分の目で見て体験しているタイプの夢でした。
何のことはなく、実家近辺を歩いている夢。
歩くといってもなかなかの速度で歩いており、車に乗っているのではないかという速さで景色が前から後ろに過ぎ去っていきます。
そんな状態でも、地元の景色と言うのは良く見えるもので、流れていく景色の中にある家や店、遠くに見える打ちっぱなしのゴルフ場のネットなど印象に残りやすい建物をちゃんと認識できていました。
しかし、何かがおかしい。
認識できた、印象的な建物たちがなんだかおかしい。
遠くに見えるマンションは薄い灰色の壁だったはずなのに、あんなに茶色い壁だったろうか。
家に帰る時の目印にしていた、あの家は青い瓦ぶき屋根だったはずなのに・・・微妙に細部が異なるのです。
おかしい、おかしいおかしい、絶対おかしい。
夢の中の私は実家に向かって移動しているようなのですが、景色が実家に近づくにつれて、その違和感はむくむくと大きくなっていきます。
違和感の恐ろしさ
想像できますか?
自分が20年近くを過ごした地元の景色が、違和感たっぷりだった時の怖さを。
まるで家に帰ったら知らない人が家族として、自分に親しく接してくるような不気味さを感じるのです。
あまりに怖かったのか、夢の中の私はたどたどしい手つきでスマホを取り出し、実家にいるはずの母に電話をかけます。
「もしもしお母さん!? なんか、なんか今実家の近くにいるのに変なの!!」
私は電話口で、今いる場所に感じる違和感を思うままに、母にまくしたてた。
聞き苦しく要領を得ない言葉だったろうに、夢の中の母は黙ってすべて聞いてくれた後、こういいます。
「わかった。大変だったね。あとは全部私に任せて」
妙に落ち着いた口調でした。
そしてその瞬間、ぎゅんっ!!と体が上に向かって引っ張り上げられるのを感じます。
景色が足元から渦を巻くように歪んで消えていき、真っ暗になったと思った瞬間・・・私は、見慣れた自宅のベッドの上で目を覚ましていました。
胡蝶の夢
皆さんは胡蝶の夢という話をご存じでしょうか。
中国戦国時代の思想家壮士が説いた、簡単に解釈すると「今いる自分は夢で、夢の中の自分こそ現実なのではないか」という説話です。
今回の件はそれに似たものを感じました。
件の説話では綺麗な蝶と自分というかけ離れた姿を取っていますが、今回の夢ではどちらも自分の姿です。
そしてこの説話は最終的に「どちらが夢か現かはどうでもよいことだ」と結ぶわけですが、それすなわち「どちらも現実である」とも解釈できます。
つまり、夢の中で見たあの世界は紛れもない「もう一つの現実」であり、睡眠時という意識が曖昧な状態で偶然観測してしまった「別世界の自分」だったのではないでしょうか?
それを我々は夢という形でしか観測できない。
私たちの存在は、別世界の自分によって観測されている夢。
今こうして筆を取っている自分のいる世界こそ、このお話を読んでいるあなたの世界こそ、別の世界のあなたがつかの間垣間見た別の世界なのかもしれません。
まぁ・・・どちらも現実であるというのなら、あなたが今いるこの世界もまた現実であると定義できます。
どう考えるかはあなた次第です。
ですが覚えておいてください。
このお話を読んでいるあなたの本当の体は別の世界にあって、今まさに目を覚まして本当の現実と向き合わなくてはならない瞬間が来るかもしれない、ということを。
※イメージです。
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