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事故で中断したイランでの救出作戦「イーグルクロー」

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1979年にイラン革命が起きます。
革命が起きたイランではアメリカへの反発からアメリカ大使館が占拠される事件が起きます。
アメリカ政府は囚われの身となっている大使館の関係者を救出すべく「イーグルクロウ作戦」を実行しますが・・・

目次

アメリカ大使館占拠事件

1979年1月に起きたイラン革命でパーレビ皇帝による王朝は打倒されます。
国を追われたパーレビ皇帝はアメリカに亡命します。

イランではパーレビ皇帝を受け入れたアメリカへの反発が強まり11月には学生達がテヘランにあるアメリカ大使館に押し寄せ占拠してしまいます。
大使館職員など関係者52人がこの時に捕まってしまうのです。
当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは囚われている大使館職員を救出する決意をします。

イーグルクロー作戦

テヘランのアメリカ大使館で軟禁されている大使館関係者の救出はアメリカ軍の陸軍・海軍・空軍・海兵隊の4軍を総動員した作戦となりました。
作戦内容は作戦1日目にイランの砂漠地帯に特殊部隊デスタフォースがC-130輸送機で降りたち、砂漠に基地となる場所を確保します。
デルタが確保した所へ3機の給油機と8機のRH-53掃海ヘリが飛来します。

給油機から補給を受けたRH-53はテヘランへ向けて出発
RH-53はテヘランにデルタフォースを運びます。
テヘランに着いたデルタの隊員達は現地の工作員と合流し救出作戦開始まで隠れ潜みます。

作戦2日目でイラン軍のマンザリヤ飛行場をレンジャー部隊が制圧
更にテヘランに潜んでいたデルタフォースがアメリカ大使館に突入して救出を実行

デルタと救出した大使館関係者をヘリでレンジャーが確保したマンザリヤ飛行場へ運びます。
マンザリヤ飛行場から輸送機で作戦部隊と救出した大使館関係者はイランを脱出して作戦は完了します。
この壮大な作戦はイーグルクローを名付けられます。

作戦失敗

1980年4月24日夜に作戦は結構されますが、RH-53の何機かは砂嵐や故障で引き返してしまいイランに着いたのは5機でした。
更にもう1機が油圧系統の故障を起こし機数が足りなくなります

それに加えてRH-53が給油機にぶつかり炎上する事故を起こし作戦中止となってしまいます。
自滅するように失敗してしまったイーグルクロー作戦
アメリカ軍は指揮や調整の問題があったとして特殊作戦軍を組織するなど組織改編を行います。

※画像はイメージです。
eyecatch source:US Navy, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由

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