喰うにも困った戦時中という印象は、実は正確ではありません。
経済恐慌
第一次世界大戦で混乱する欧米諸国を肩代わりするようにアジア圏内の経済を支えて好景気を甘受していた日本は、戦争終結(1918年)以後欧米諸国の復興につれて、アジア市場からの利益が激減し戦後恐慌に陥ります。
その上に関東大震災(1923年)でさらに経済的打撃を受け、ダメを押すように米国発端の世界恐慌(1929年)の煽りで最悪の状態に落ち込んでいきました。
満州事変
1931年、満州事変が勃発します。
事変による軍需拡大やそれに伴う政府の財政出動政策、満州の市場拡大によって日本経済は急回復に転じました。
1933年の報知新聞の記事には「満州事変以来我国にはいわゆる満蒙景気なるものが起こった、(中略)かくしてわが商品は支那、英、米の商品を排撃して満蒙に突進しつつあるのだ」とあり、経済恐慌に未だ喘ぐ欧米を尻目にいち早く景気回復を果たしていました。
景気の良い生活が第一
それまで三重苦のような経済的困窮で瀕死の状態だった国民は、一気に楽になる生活を与えてくれる好景気の弾けるような高揚感に包まれました。
戦争が良い生活を与えてくれる・・・と日本国民が感じた事に無理はありませんでした。
従って満州事変を主導した陸軍を国民は支持します。
その支持は世論となって後に軍の権力拡大を後押しする事になりますが、一般国民にとって好景気の快適さには何物も優ることはありませんでした。
国民生活の変化
満州事変は日中戦争を誘発し、太平洋戦争へとつながっていきます。
その過程で経済は戦時体制へ順次移行し、国民に対する物資統制などが始まります。
しかし生活を最小限に切り詰めて子供たちがいつも空腹を抱え、家庭の庭や学校の校庭で芋を栽培し、その蔓さえ味噌汁の具になった・・・などという状況は、実は太平洋戦争が始まってからもまだありませんでした。
そんな極貧生活を余儀なくされたのは日中戦争も含めれば8年間の戦時中といわれる期間のうち、太平洋戦争も最後の1年間ほどのホンの一時期でした。
少なくとも日中戦争の期間は少しづつ窮屈になってはいるものの、景気の良い生活は持続していました。
戦時中の国民生活は現在私たちがイメージしているような、辛酸を嘗める耐久生活ばかりではなかったのです。
戦争とはさても苦しいものだと日本国民が知った時には、すでに敗戦は間近でした。
一部の強い印象が、間違った歴史観を伝えていることがあります。
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