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江戸城無血開城の裏の噂

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勝海舟と西郷隆盛が江戸無血開城を決めたから、江戸は戦火から免れた・・・というように現場はそう簡単には動きません。

目次

血気盛んな幕臣たち

鳥羽伏見の戦いで幕府は敗れただけでなく、朝敵と成り果てました。
挙句、総大将の徳川慶喜は配下の部隊を置き去りにして、身一つで大阪から逃げ出し、明治新政府に恭順の意を表して謹慎してしまいます。

新政府軍は東征して江戸に迫り、総攻撃が目前となりました。
戦端が開かれると、戦火が江戸の街を焼き尽くします。
この戦災を回避すべく、徳川家の一切を慶喜から全権委任されていた勝海舟と、明治新政府軍総大将の西郷隆盛の話し合いが行われ、
無事江戸城無血開城が決まって目出度く江戸は戦火を免れました。
・・というのが通説ではあるのですが、現実には事はそう簡単ではありません。

まだまだ幕臣の中には気概溢れる者も多数おり、それに見合った戦力も保持されていました。
その一つは新選組を中心とする勢力です。
京都警護以来の堅固な結束力と旺盛な敢闘精神を、彼らは未だ持ち続けていました。
二つ目は江本武揚率いる無傷の海軍です。
最新鋭の軍艦を保有する旧幕府海軍は、薩摩を中心とする新政府軍海軍を戦力的に凌駕していました。
そして新政府軍がこぞって江戸まで東征してきている今、その機動性を駆使して、防備が手薄になっている大阪を攻撃し、新政府の本拠京都を脅かしたり、さらには軍勢が新政府軍主力となって、留守になっている薩摩をも制圧することが可能でした。

三つ目は幕府の新制歩兵軍で、フランス軍人による教導の下、フランス式近代的軍制によって編成された軍団でした。
それは、荒くれの町火消や博徒を含む町民の志願歩兵と、意気軒高な幕臣の子弟を中心とする志願士官が、近代戦をしっかりと教練された歩兵部隊で、士気戦力共に充実していました。

勝海舟が裏工作をした?

官軍憎しに燃えている、血気盛んな元新選組や海軍や新制歩兵軍が、江戸城開城を大人しく受諾するわけがなく、勝がその動向を予想しなかった筈がありません。
つまり勝はこれら不穏分子対策を行っていたに違いないのです。

司馬遼太郎氏は、その点を具体的に推測しています。
先ず新選組対策は将軍が謹慎した幕府の直轄地、百万石の甲州が空き家になっており、今なら苦も無く大大名になれると、人を介してそれとなく近藤勇に吹き込んだと謂います。
農民出身の近藤にとって、百万石の大大名は夢のような立身出世です。
彼は甲陽鎮撫隊を指揮して此処で官軍と戦い、結果敗れ去りました。

海軍江本武揚

次に海軍の江本武揚には、海軍を率いて北海道を独立国にすることを勧めたのかもしれません。
榎本にとって勝は海軍の先輩で、榎本が「勝先生」と呼ぶ間柄でした。
蘭国留学で国際法を修めてきた榎本には勝の言う事が理解出来、また信用した可能性は十分にあります。
斯くして幕末最後の戦い・函館戦争まで榎本は戦います。

残る幕府歩兵隊についてはよく分かりません。
幕府陸軍の一部が、江戸城での籠城戦を計画し、これが事前に慶喜の知るところとなって不発に終わるという事件がありました。
その直後、一夜にして多数の脱走があり、部隊が江戸から消滅してしまったのです。
徳川家への忠心を否定された事が原因かもしれません。
しかしそれは単なる解隊ではなく、対官軍戦継続の為に地方へ移動したのです。
その後、彼らは関東以北の戦場で戦い続けました。

江戸城無血開城

かくの如く、江戸城無血開城は平穏裏に実現したのではなかったのです。
舞台の裏側で、何者かの血の滲むような努力があった筈です。
それは勝海舟なのでしょうか?

歴史大好きじいさんです。
歴史上の大事件には必ず裏の噂があります。

参照:花神 司馬遼太郎 著
※画像はイメージです。

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