旧型の電気機関車には、どうして車体の前後ろにデッキがついているのでしょうか?
旧型電気機関車とは?
EF58より前に製造された電気機関車を一般に旧型電気機関車といいます。戦前、戦時中生まれの電気機関車と考えてもいいでしょう。
旧型電気機に共通する特徴が2つ、「チョコレート色に塗装されている」、「車体の前後にデッキがついている」。
デッキとは、箱型の車体の前後に設けられた手すり付きの平らな台のことです。
EF58以降の電気機関車は、直流が薄緑色や青色に、交流や交直流が赤色に塗装されました。また、デッキがなくなり、完全な箱型になりました。
チョコレート色に塗装された理由は?
昭和10年代のの日本は、電化区間が非常に短く東京や大阪などの大都市近郊に限られていました。また、大馬力のディーゼル機関車が誕生していなかったため、中長距離の鉄道輸送は蒸気機関車が主役でした。日本の石炭は海外の石炭よりも品質が悪く、燃やすと大量の煤煙を出しました。
1時間も乗ると乗客の顔は黒く煤けました。大きな駅には洗面所があり、乗客たちは先を争って黒く汚れた顔を洗いました。蒸気機関車全盛の時代、洗面所は文字通り、顔を洗う場所だったのです。乗客の顔が汚れるのですから、客車は外側も内側も汚れます。そこで、客車は汚れが目立たないようにチョコレート色に塗装されていました。電気機関車は煤煙を出しません。しかし、客車の色に合わせてチョコレート色に塗装されたそうです。
デッキの役割って何でしょうか?
実は、デッキそのものには重要な役割はありませんでした。では、デッキを含めた車体前後の部分は全く不要だったのかというと、決してそうではありません。デッキの下にある車輪が重要な役割を果たしていました。電気機関車の黎明期は蒸気機関車の全盛期です。当然、電気機関車の設計は、蒸気機関車の設計方法の影響を強く受けていました。蒸気機関車では、曲線区間をスムーズに通過するために、動輪の前後に小さい車輪(先輪、従輪)が置かれていました。
電気機関車にもモーターで回転する車輪の前後に先輪が置かれていました。先輪の部分は左右に動くため、車体の下には入れられず、先輪を車体からはみ出させるとにしました。電気機関車は両側に運転台があり、前後の両方向で高速運転が可能です。そのため、先輪も前後に設置されました。
さて、先輪が車体の前後にはみ出すと、その上の部分がなんだか間延びしてかっこ悪い。そのため、先輪の上に平らな台を置いて手すりを設けました。これがデッキの始まりです。現代風に言えば、「先輪の上になにもないとバエないから手すりをつけてバエさせよう」という理由です。
しかし、デッキが全く役に立たなかったわけではありません。操車場では作業員がデッキに乗って移動しましたし、保線作業のための資材や道具をデッキに積んだこともありました。鉄道が殺人的に混んでいた昭和30年代までは、客車に入れなかった乗客がデッキにびっしりと乗りこんでいました。
デッキがなくなった理由とは?
EF58以降は、電気機関車からデッキが消えます。台車の技術が進歩して先輪をつけなくてもカーブをスムーズに曲がれるようになったからです。また、レールの強度も向上して、幹線では機関車の重みを先輪で分散させる必要がなくなりました。デッキの必要性が失われたのです。
それでも、私が高校生だった昭和50年代にはまだまだ首都圏で旧型電気機関車を見かけました。Youtubeで旧型電気機関車の動画を見ると、自分の少年時代のことが懐かしく思い出されます。
いつか、旧型電気機関車が牽引する客車列車を、子供の頃のように、時間を忘れて眺めてみたいものです。
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