またも負けたか第八連隊

第八連隊とは大阪鎮台第四師団の中核歩兵連隊の事です。

いつのころからその様な言い回しができたのか不明ですが、京都歩兵第九連隊と並んで、「またも負けたか第八連隊、それでは勲章九連隊(勲章を呉れんの意を兼ねる)」と言い囃される程に弱い部隊だとされました。

実際には立派な戦果も挙げている

この連隊は明治の陸軍創成期から続く伝統ある部隊で、西郷隆盛率いる薩摩軍との西南戦争や日露戦争にも従軍し、西南戦争では戦功を天皇から称えられる勅語を賜る程の名誉ある連隊なのです。

■南山の戦い 小林清親 [Public domain]
また日露戦争では、日本軍総数3万6千人の内死傷者4千5百人という激戦だった南山攻略戦でも、勇猛果敢な戦闘で敵砲台への一番乗りを果たしています。

弱兵第八連隊らしい逸話

決して言われているほど連戦連敗の最弱連隊ではないにも拘らず、なぜ「またも負けたか」と揶揄されたのでしょうか。

その理由は連隊全体の性格ともいえる雰囲気にある様です。それ想像させるある出来事があります。

Japanese Press (1930s-1940s) [Public domain], via Wikimedia Commons
昭和14年の対ソ事変・ノモンハン事件で、出動を命じられた第八連隊含む第四師団では急病人が激増したと言います。

それは明らかに仮病による兵隊の残留工作でした。

そしてやっと出動した後も、他部隊が前線まで四日で踏破した距離に一週間もかかり、おまけに落伍者続出、挙句に戦闘に間に合わなかったという体たらくでした。

第八連隊の性格

大阪鎮台の軍隊である第八連隊は、当然大阪出身の人間で構成されています。

軍隊経験者で大阪出身の司馬遼太郎氏は、江戸期の大阪は幕府直轄領であると共に天下の台所と称される商売の街で、国主がいる城下町や素朴な地方の国と比べてお上に対する畏れの意識が希薄だったと言います。

そんな気風を引き継いでいる大阪の兵士は、天皇の為、お国の為に命を懸けて奉公する事を軽視する傾向があった様です。

おまけに経済の中心都市で暮らす大阪人は、計算高くて弁が立って世渡り上手でした。

下手な上官などは口で丸め込んだり上手く立ち回ったりして、まともに従わない風があったと言います。

前述のノモンハン事件での出来事などはその最たる例でしょう。

そして厳しい状況から逃げ隠れする事を恥とも思わず、逆にその成功を誇る感覚さえ持っていました。

真面目一方の東北の隊など他の部隊から見ると、そんな第八連隊の様子はどんでもない弱兵の不良部隊に映ったに違いありません。

第八部隊のこんな性格が、「またも負けたか第八連隊」の文句を生んだ原因ではないでしょうか。


Writing by 歴史大好き爺さん
当時軽蔑の的のなったこの言葉も、今調べてみると反戦の意味を含む、しかもその事を大上段に構えない、ユーモラスな大阪らしいエピソードに思えます。

※写真は一部イメージです。
※写真提供 Kさん

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