ヴァージン・クイーンと呼ばれた?!英国女王エリザベス1世の生涯

エリザベス1世、英国の黄金時代を築き、君主として名高い女王。
数々の歴史に残る功績をあげ、45年の治世の評価は高く「エリザベス朝」と称されます。

生涯独身だったことから「処女王(ヴァージン・クイーン)」と呼ばれ、現在にも名を遺す女傑エリザベス1世の生涯について紹介します。

目次

エリザベス1世の生涯を簡単に説明

エリザベス1世は決して王位継承権が高い王女では無かったものの、様々な要因が重なり1558年に25歳でイングランド王国及びアイルランド王国のデューダ―朝第5代の女王となります。

エリザベス1世が即位した頃のイギリスは、宗教対立や貿易の利権争いなどが激しく不安定な情勢でした。
王位を継いだエリザベス1世は、宗教対立や経済対策・外交政策に様々な策を施し、スコットランドの反乱も鎮圧し、1658年のアルマダ戦争を勝利に導きます。

生涯結婚せず国政に取り組んでいたエリザベス1世、1603年に69歳で崩御。
治世は45年に及び、国民に愛され国に尽くした女王と呼べる人物でした。

エリザベス1世の主な功績とは?

エリザベス1世の功績の中でも最も有名なのが、「無敵といわれたスペインに勝利したこと」が挙げられるでしょう。
16世紀のヨーロッパでもっとも繁栄を極めていたスペインに対して、イギリスは強気な態度を取り険悪となっていました。
そしてスペインとスコットランド女王メアリーがエリザベス1世の暗殺計画を知り戦争を開始。

当時のスペイン艦隊は無敵といわれていましたが、エリザベス自ら前線に赴いて兵を鼓舞し戦争に勝利しました。
これをきっかけにヨーロッパの小国だったイギリスが、海外進出していくこととなったのです。

東インド会社を設立し、海外での活動を活発化させ、アメリカにも積極的に進出させました。
16世紀のイギリス産業は毛織物工業が中心でしたが、これらを貿易品として利用し富を得ることに成功します。
東インド会社は長らくイギリスの国益の要となり、国を発展させていくこととなったのです。

他にも宗教対立は父のヘンリー8世の頃から続いており、国の分裂危機ともいわれてた問題、カトリックとプロテスタントの宗教対立を回避。
カトリックとプロテスタントに偏らず、どちらの儀式も取り入れる柔軟性のある「統一法」を制定し、この法律を基に「イギリス国教会」を国家の宗教として定めています。

そして一番の功績といえば、政略結婚の機会はあったものの生涯結婚しなかったことでしょう。
エリザベス1世は自分の存在を神格化させ、国の分裂を防ぐために利用するのです。

有名な言葉に「私はイギリスと結婚した」という言葉がありますが、これは王位を継いだ後議会で宣言した言葉です。
国と結婚したというイメージも相まって「美・清潔・完全・処女性」を意味する真珠が肖像画では必ず描かれ、「処女王」のイメージを神格化させていくことに成功しています。
もう一つの理由は、政略結婚によって自国の政治状態が不安定になることを警戒しての発言だったといわれています。

エリザベスの政治姿勢は「私は見る、そして語らない」と話しており、実践していました。
これは常に議会を尊重し、民衆の意見を大切にしていた表れといわれています。

エリザベス1世の恋人

「私はイギリスと結婚した」エリザベス1世ですが、実のところ何人も恋人はいたのです。

特に有名なのは臣下であるロバート・ダドリー卿で、女王の側近として寵愛され諸国の王と結婚しなかったのはダドリーの影響だともいわれています。しかし急速な出世は妬みを招き、特に仲が悪かった貴族の妻が死亡したのはダドリーの仕業という噂がたってしまい結婚は困難となってしまい、エリザベス1世は色々対策するも、結局うまくいかず結婚にまで至れませんでした。
エリザベスはこの事件から、生涯独身を決めたともいわれています。

ダドリー以外に冒険家のウォルター・ローリーやロバート・デヴァル伯爵など多くの寵臣がいましたが、女王の中で大きな存在だったのはダドリーだったといいます。

エリザベス1世は美男子を侍らせておくのが好きだったようで、多くの寵臣を近くに置いていました。
そして勝手に結婚することも禁じていますが、禁を破ったお気に入りの寵臣ウォルター・ローリーがいます。

彼は冒険家で紳士的な振る舞いをする美男子。
女王のお気に入りでしたが、侍女に手を出し妊娠させてしまいます。激怒したエリザベス1世は、ローリーをロンドン塔へ幽閉。しかし彼女は結局ローリーを憎み切れなかったようで、のちに解放してまた寵臣としています。

他にも最初の恋人ダドリーの再婚相手の連れ子だったロバート・デヴァル伯爵が有名です。
32歳年下で、恋煩いで判断能力が鈍ってしまうほどの恋愛だったそう。

ただしこの恋人は問題貴族で、何度も同じ失敗を犯し女王から見捨てられる形で関係は終わっています。
そして最後は女王に対して反乱を犯すもあっさり鎮圧、死刑に処されました。

最後まで女王の加護を祈っていたそうですが、さすがに届かず「女王が甘やかしすぎたからだ」という評価を現在も下されている人物です。

全ての有名な恋人に対して共通するのが、「女王のお気に入り」という立場に慢心した態度が垣間見えます。
しかし、女王は他の王族ほど恋に溺れる過ぎず乗り切った感があるのです。
結局「国家と生きる」ことを決め、建前はそのように振舞っていた彼女も、実は寂しがりやな女性だったのではないかと感じてしまうエピソードですね。

そんな彼女は晩年、親しい友人が立て続けに亡くなっていき、酷いうつ状態に悩まされていたといいます。
エピソードとして、晩年は「ベッドで寝たらもう二度と起きないかもしれない」とおびえ、座ったまま寝ることが多かったのだとか。
うつ病なども相まって健康状態を悪化させたエリザベス1世は、1603年に69歳で薨去しました。

最後に

今回エリザベス1世の生涯を簡単にたどっていきましたが、筆者は同じ女性として気の毒な気持ちと、尊敬の気持ちを抱きました。近年あまり見なくなった「結婚」ということを我慢しても貫くエリザベス1世の「王族としての信念と完璧さ」は輝くものがあります。

しかし女性としてはたして幸せだったのか?
愛する人と結ばれ子孫を繫栄させるという女性の当たり前の幸せを犠牲にした彼女はどういう気持ちだったのか?

今となってはわかりませんが、王族であることを貫きつつも恋に翻弄された姿に、人間らしさを垣間見て、筆者はエリザベス1世という女性の偉大さをさらに感じています。

featured image:Attributed to William Segar, Public domain, via Wikimedia Commons

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